好意ということ
恥ずかしがってみせるというのがなにより相手を敬うことです。
だからさっきから私は貴方の目を見ながら「ケロケロケロッピ!」と言っては顔を赤らめている。
虫に裸を見られたところで恥ずかしくはない。
亀に見られたら、先ほどよりは恥ずかしい。
では犬は?あ亀より恥ずかしい。
なんか自分のなかの恥ずかしさのメスシリンダーが満たされていっている気がする。
では貴方では?ケロケロケロッピ!!
さらに変なことを言って恥ずかしさに奇人成分を混入させて誤魔化してやり過ごそうと思い立つほどに恥ずかしい。
でもこれが僕の君へのキモチでもある。
どんなゴマすりの言葉より、ケロケロケロッピの一言がときに敬愛の念をつたえます。今みたいに。
そういう暗黙の約束事を、そこここの恋人たちは、世間体の良さげなバージョンのケロケロケロッピのセリフで遣り合っているだけなんです。
だから僕のこの敬愛のカタチも特段おかしなモノではありません。できることならば貴方も僕に、「丁寧に作られたちゃんこ鍋、おちゃんこ鍋」と顔を赤らめながら言ってくれませんか?
結婚してください。