車内に一人きりで満面の笑みで運転している人
助手席や後部座席に誰も居ない一人の空間の車内で口を閉じ口角を上げニコォと笑んでいる人を見る。
実に戦慄を感じさせる。
それを見るのは一瞬の出来事、車内の状況は分からない。従いなぜその表情をしているのかも分からない。
・好きなラジオや音楽を聞いている
・なにか嬉しいことがあった
・これから行く場所が楽しみ
逆にそれらが全く無い、生活に嬉しいことが何一つない、楽しい行き先などどこにもない人が無音の中で満面の笑みをたたえているのかもしれない。
それは、有毒ガスが発生して生命の何一つ存在できない高山の湖の凪の具合を、月の光だけが知っていることとは似ていない。
とは言え科学で言えば大体の場合はなにか嬉しいことがあってラジオや音楽を聴いて楽しみの場所に向かっている可能性が遥かに高い。
しかし科学で言うと極めて過激な政治的音声を聞いていたら国家転覆を思いついた人がナビの目的地を国会議事堂に入れて運転をしている可能性もある。
いずれにせよ生まれる戦慄。
一瞬の記憶の中にある、運転マナーはどうだ。
シートは適正位置、リクライニングは直立、10時10分の位置でハンドルを握っている。ウインカーもきちんと出すし目視確認も忘れない。
100点過ぎる運転。
素晴らしい。ドライバーの模範のような運転だ。
そこに満面の笑み。
「大いなる計画の前に、交通事故やトラブルを起こすわけにはいきませんからね」
政治犯とまだ決めつけはしません、ほぼ確実ですが。私には限りなくそう見える。国会議事堂が爆散してから捕まえるおまぬけさんがどこにいるでしょう。
光の当たり方で人の表情が違く見える現象のことなのか?
じゃあ上から光を当てて恋人を迎えに行こうとして笑んでいることにすればいい。
でも、国家が転覆したら二度と私たちは本来の意味の満面の笑みは出来なくなるのだなと思う。
それは、有毒ガスが発生して生命の何一つ存在できなくなった高山の湖の凪の歴史を、月の光だけが知っていることとは似ていない。
あの人の笑みその判断が、私たちの笑みの未来を変えようとしている。
……
白にも黒にも決めきれなかったグレー色の笑みは戦慄を纏ったまま保育園の前でハザードを出して止まった。小さな子どもが親に連れられ車に乗り込んだ、2人とも満面の笑みで。
車内の状況は未だ分からない。