自己実現と自己超越 その2
前回は、自己超越の部分がコロナの話になってしまいまして、いささか焦点ボケになりまして、失礼しました。人生には、自己実現までの期間と自己超越の期間があるのではないか、という記事でしたね。
マズローによれば、幼児期に物心がついて、自我が芽生え思春期を迎える。それまでに生存欲求や生活欲求が満たされていると、今度は承認欲求が頭をもたげてきます。思春期に立てた目標をうまい具合に達成できると、家族や周囲の大人から認められて、承認欲求が満たされるとなっています。
この子達は、その後、どんな社会人になるか、どんな大人になるか、どんな人間になるかと自己実現の旅に出ます。そして、様々な経験をしながら、自然に、自分は大丈夫、自分のことはもう良い、と思う時が来るのかなと私は考えました。
そしてそれからの人生を他の人の幸せのために生きる、それが自己を超越するということなのかな、と考えています。
しかしこのプロセスは、全ての人が年齢に沿って通るわけではなく、自己実現の早い人遅い人、欲求段階をスキップする人ワープする人など様々です。わたしは偶々、還暦の時にコロナ騒動があり、そんなことに気がついただけなのでしょう。
全ての存在は、根源の光の分け御霊だと言われていますが、自己を思いっきり生きたあとは、他者を照らす光になるのでしょう。
また、人生は楽しむためにあるとも言われますが、いろんな欲求を満たすために、目標を立ててチャレンジし、努力して達成して身につける、そんなプロセスこそが「楽しみ」と呼ぶべきものなのだと思います。失敗から学ぶのも、成功へのプロセスと考えれば、失敗の経験こそ、他者を照らす光となるのでしょう。