「もうひとりの家族」のようなモノ。
書く習慣1ヶ月チャレンジ17日目、
本日は「あなたの一番大切なモノ」
私は過去を振り返ってしまう人です。
「思い出」をしまっておきたいと思う人です。
だからなかなか捨てられない人です。
そんな私が最近モノを整理しようと思い始めました。
その大きな目的は、
「自分を大切にするため」
なかなか捨てられないくせに新しいモノを次々に買ってきたりするので、
モノが増えていきます。
農業関係の資料、書籍、昔着ていた洋服、
子供のおもちゃや、工作。
仕事に役立つから。
いつか着るかもしれないから。
その時子供が好きだったから。
当時の子供のアイディアを残しておきたいから。
様々な理由をつけて「いつか整理しよう」という言葉の中には、
「ぜんぶまるっと残しておきたい」という意味も含まれていました。
だから「いつか」がやってこないまま、時間だけが過ぎていきます。
準備ができたら。
スペースを空けたら。
時間ができたら。
なんて、あなたも考えてますよね。
完璧主義にありがちなヤツです。
たらればでは何も変わらないことを知っているはずです。
そうやっていると、いつまでたってもモノはそのまま同じ場所にあり続け、
見ている景色も変わらず。
「片付けたいな…」という言葉とは裏腹に、雑然とした部屋でやる気を失っていく。悪循環しかありません。
私が片付けられない一番の理由は過去を引きずっているからです。
片付けると言うことは過去を断ち切ることでもあると思うのです。
今を生きる自分のために。
未来を生きる自分を大事にするために。
インプットばかりしてきた自分に。
そうやって周りのモノをそぎ落としたときに、
残しておきたいと思ったモノが二つありました。
クマのぬいぐるみと、
2冊の絵本です。
ここではクマのぬいぐるみについてお話をします。
幼少期の私がおんぶしているクマのぬいぐるみは、
どうやら妹が生まれたときに贈られたモノらしいのですが、
写真には私の子供かのように写っておりました。
母親のまねをしてぬいぐるみをおんぶしたり、お世話をしたりという遊びをしていたらしいです。
成長してぬいぐるみで遊ばなくなった時期も、
クマのぬいぐるみはなんとなく実家に居続け、
私が進学した東京から戻ってきた後も、
当たり前のように実家に住んでいました。
その当時はこのクマのぬいぐるみのことをなんとも思っていなくて、いるのが当たり前すぎたのか、もはや景色の一部になっていたかもしれません。
就農と結婚で実家を離れることになったとき、
そのクマがなんとなく気になり、私は一緒に連れて行きました。
おそらく30歳を超えているクマは所々ほつれもありましたが、
結婚式にも同席させると私が言ったので、母が繕ってくれたのです。
どうしてそこまで連れて行こうと思ったのか、はっきりした記憶は無いのですが、
なんかこう、自分の原点というか、
子供の頃の自分がそこにいるような気がしたのでしょう。
それからクマのぬいぐるみはなんとなく我が家に住み続けています。
ものすごく待遇が良いというわけでもなく、子供たちに追いやられて気がついたら転がっていることもあります。猫に倒されて棚の上から落ちていることもあります。
そのたびに私が、みんなの見える位置に戻すコトを繰り返しています。そういえば名前もつけてあげていないので、この子は未だに「クマのぬいぐるみ」です。家族と言って良いのかもしれませんが、そこまでの存在ではない。でも大切なモノ。
かれこれ40年以上、この子は私の家族や、今の家族を全部見てきたのだと思うと、ただのぬいぐるみではないような気がします。
ちょっと猫背の2頭身、胸についていたかわいらしいリボンはもう取れてしまったけど、約40年の月日が経ったにしては清潔感もある。(母が一度洗ってくれたらしい)
あいかわらず我が家のその辺にいて、
今日も私が苦悩する姿を見て、
明日も兄弟がケンカする姿を見て、
明後日も猫に転がされ、
クマはどんなことを思っているのでしょうか。