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書く習慣1ヶ月チャレンジ始める。

唐突ですが、私はめんどくさがりな人間でして。
何事も新しく始めたことが1週間続かないんですよ。
鈍器本と揶揄される京極夏彦さんの新刊を買ったは良いものの、まだ数ページしか進んでいなくてですね。買ったことで、「ここに京極夏彦の新刊がある…!」って満足しちゃったみたいで。

 つまりゆるゆると始めたこのnoteも、いつか更新頻度が間延びして、無かったものになるのではないかと自分でうっすら思っていたり。
でも下書きはいっぱいあるっていう。

 宮沢賢治のことについて、映画のこととか、人に勧めるとしたらどう伝えるとか、賢治の人生が100年続いていたらとか、中途半端な記事がたくさんあるんです。
 じゃあ何故それを公開しないかっていえば、

「ちゃんと書けてないから」

なんです。完璧主義ってやつです。
noteで記事を公開しているあなたもきっとそうですよね。
多分そうだと思います。

そんなときに参考になったのが
いしかわゆきさんの「書く習慣」
Kindleで読んで、実際の書籍でも読みました。
まずうなづいたのは、

完璧主義の人は「完璧を求める不完全な人」

完璧を求めるがあまり結局終わらない。結局不完全。
わかる。すごくわかる。そんな人生を送ってきました。

文章を書くのは好きなんです。じゃあ何故面倒になるかっていえば、
「人に見せるのにこんな文章じゃ伝わらないだろうな」とか
「こういう言い回しは丁寧じゃないなぁ」とか
誰かに見られることを異常に気にしながら書くからなんです。
そのせいでアウトプットに時間がかかるからなんです。

じゃあそんな自分はどうしたらいいかというと、
自分のために書いていい
・「誰にも見られない前提」で書く
・完璧を目指すよりも終わらせること
・自分の文章に意味づけするのは読んだ人
・「何もしなかった」と書くと「なにかした」ことに気づける
ざっとこういうことを頭の片隅において書いてみればいいのか、と思いまして。

結局頭でいろいろこねくり回して考えてしまうので、行動に移せない。
石橋を叩いて叩いて叩きまくって渡らない人です。

とりあえず書いて公開しちゃいなよ。

ってことです。
この本の第6章が興味深くて、書いたことによって自分が見えて世界も広がる、書くことを続けていくと、こんな世界が待っているっていうところがとてもワクワクするんです。

宮沢賢治は一時期、1ヶ月の間にいろんな物語をひたすらかいていました。原稿用紙にするとおよそ3,000枚。1日あたり100枚ですよ。しかも毎日。

誰に見せるでもなく(妹のトシには読んで聞かせていましたが)、これだけの量の物語が書ける熱量が尊敬です。
父親と宗教の対立で家出をして、自分が傾倒している日蓮宗の団体がある東京にいたころの話です。もうあふれ出るものを抑えきれなかったんでしょうね。
「書く習慣」の中でも、
「手書きをすることで達成率が42%上がる」とあります。
書き出して自覚することで脳が「これは自分にとって重要なことだ」と認識するそうで。
賢治の場合、宗教の布教活動のために、また自分の考えを世に知ってもらうために、自分のやるべきことはこれだ!!位の勢いでひたすら書いていたのだと思います。賢治、思い込んだら一直線過ぎるんです。でも、そのぐらい本気で向き合っていたんだなと感じるのです。本気の熱量にはかないません。

9/21は賢治の命日でした。多くの人が彼の作品に思いをはせ、彼の生きた37年間に共鳴し、90年たった今でもなお、心の中に生き続ける。それは彼が書き続けていたからです。好きなものをただひたすら。

1ヶ月3,000枚には及ばないけれど、私も本気で向き合って見ようかなという気になったので、影響されて「#1ヶ月チャレンジ」というのをやってみようと思います。
賢治のこと。農業のこと。好きな音楽のこと。自分のこと。子供のこと。過去のこと。未来のこと。
書くこと、アウトプットすること、内面と向き合うことにどれだけ本気になれるかのチャレンジです。

もし私の文章で少しでも何か得るものがあれば、あなたも是非チャレンジしてみてください。



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