見出し画像

ゼロから生み出すと言う点では、農家も芸術家なのだ

書く習慣1ヶ月チャレンジ、残り10日となりました。
本日のテーマは
「これまでで一番のチャレンジ」


私は農家をしています。専業農家です。
野菜を作って売って生活をしています。

これまでで一番のチャレンジということで、
わたしが農家になったお話しをしようと思います。


私は代々続く農家でもなく、
田んぼや畑を持っているわけでもなく
一般家庭の、都市近郊の住宅地に産まれたごくごく普通の人です。

もともとのきっかけは宮沢賢治との出会い
童話作家や詩人になりたいではなく、

「農業で世界を変えたい」

と思いました。

最初は 農家 をめざしたのではなく、
遺伝子の分野から、高齢化が進む中でも楽に作れる作物を作れないだろうかという 研究者 だったり、
世界の貧困をなくすために活動する 国際公務員 にあこがれました。

なので実際に農家になるまで、農学系の大学へ進学したり農業関連会社に就職したり、途中で考え方が変わったり、かすってはいるけど、かなり遠回りをしています。

転機は2011年の東日本大震災でした。

当時私は茨城県で農協職員をやっていて、
多くの農家さんが自宅や工場を失ったり、
放射能の影響でお茶を収穫できなかったり、
かなりの打撃を受けたのを目の前で見ていました。

肩書きも何もないイチ農協職員にできることは何もなく、
現場を知っていたようで何も知らないのだと痛感したのです。

私にもっと農業技術や知識があれば

とその時は思いました。

知識があったからといって、自然の前では何もできないのだろうけど。


2011年の年末に農業研修場所の見学に行き、
翌年辞表を提出して、2012年の3月いっぱいで退職。
4月から農業研修が始まりました。

そこからはもうひたすら農昨業漬けの日々です。
私がいた研修場所は専門的な講義があるわけでもなく、
研修生が自ら畑を耕し、野菜を育て、消費者へ届けるという実学主義の場所でした。

朝から晩まで畑で作業し、
時には鶏の世話をしたり、
育てた大豆で味噌に加工したり、
早朝4時から野菜を収穫したり、
仕分けしてトラックに乗せて出荷しに行ったり。

まさに体で覚えていく農業です。

直接消費者の方と関わるコトが多かったので、
いろんな話をしたり、喜ばれたり、
ご意見をいただいたり、収穫祭を一緒に楽しんだり、
一緒にイベントを企画したり、
農業を通してうまれるつながりが、やりがいの一つでした。

人と人とが交わる農業

そこにとても惹かれました。


農業と言えば、のんびりした田舎で
自然に囲まれて黙々と農作業をするようなイメージが未だにあります。
趣味でやる分にはその域を出ませんが、
仕事として農業をやる場合は別です。

会社や事業を始めることを「起業」といいますが、
農業をゼロから始める場合は「新規就農」といいます。
言い方は違いますが、起業と同じです。

農家になると言うことをずっと目指してやって参りましたので、
恥ずかしながら、

経営をしなければいけない

ということを失念していました。

ズッキーニの畑

壁にぶち当たったのはそこでした。
研修で農作業は死ぬほどやってきた。ホントに死にそうだった。
けど、数字は見てこなかったという点でとても苦労しました。

そして農業経営をすると言うことは目指す先に、社会的に達成したい目標や到達したいゴールがなければいけないのですが、
農家になって野菜を作る」ということが自体目的になってしまっていたのでこれも葛藤がありました。しかもそれに気づいたのは数年前です。

過程で、夫との考え方の違いを経て、
作る野菜の種類を見直す時期を経て、
この先何を見据えていくかというのを改めて軌道修正するところです。

まだ人生で一番のチャレンジは終わっていないのです。
多分一生続くんだろうなぁ……

この先。

畑という場所を、
みんなが集う場所にしたい。
みんなが癒やされる場所にしたい。

今手にしているモノ、今いる場所で何ができるかをちょっどずつ実現していきたいのです。

畑で宮沢賢治を朗読する会をやっても面白そうですね。


最後に、宮沢賢治の講義より「農民芸術概論綱要」を置いておきます。

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい

もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい

われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった

近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する

この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

宮沢賢治「農民芸術概論綱要」より 序論


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?