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独断と偏見で賢治と向き合う

先月、8月27日は宮沢賢治の誕生日でした。
1896年8月27日生まれの乙女座。生誕128年。
そして今月は賢治の命日。
1933年9月21日、没後91年。
生年月日と天寿を全うした日を覚えているくらいに私は宮沢賢治が好きです。

宮沢賢治がいなければ銀河鉄道999は走らなかったし、
千と千尋の神隠しの物語は変わっていたかもしれない。
米津玄師の「カムパネルラ」も生まれなかったし、
井上ひさしは賢治にインタビューすることはなかった。

多くの人が彼の物語に、人となりに、生き方に影響を受けています。
私も小学生の頃に彼の名前を知り、
自分の職業に農業を選ぶほどに賢治に傾倒しています。

それがなぜなのかと、改めて考えたことがなかったので今一度考えてみようと思いました。
もちろん今までに、

宮沢賢治が好きなんですよ
へぇ、どうして好きなんですか?

のやり取りは何度もしたことあります。

彼の表現方法が唯一無二で…
オノマトペが独特で…
人のために自分を犠牲にできるところが…

大体上記のような返しをしていました。

何で自分はこんなにも宮沢賢治に惹かれるのだろう。

その答えが、ことばの表現とか童話に隠れる思想とかもっと違うところにある気がすると最近思うようになりました。

今後の働き方や仕事とか生き方をどうしていこうかと思ったときに、私の好きなことってなんだろうと考えるようになったのがきっかけです。

私には漠然と好きなもの、ことがたくさんあります。
農業だったり音楽だったり芸術だったり。
その中の一つが宮沢賢治です。

好きなものに向き合うとは自分と向き合うということ。
賢治のどこに惹かれるのか。
ただ口外し過ぎて自分で思い込んでいるだけなのか、
唯一無二の表現をしているからなのか。
自分の過去も引っ張り出して、宮沢賢治を通して自己分析するような感覚です。

今までは、先にあげたように彼の表現とか生き方に対する「憧れ」のようなものが好意の対象だったように思います。
賢治のようになりたい。
彼の思想を理解したい。
だから農業を志しました。
彼が道半ばで断念した農業を、私が全うするぐらいの意気込みはあったと思います。

じゃあその憧れはどこから来るのか。
それは本当に憧れなのか。

それが腑に落ちた出来事がありました。

ある講座に参加した時のこと。
講師の話のなかで「感覚」という話題が出ました。

感覚でなにかを見たり感じたりすることが減ってきているように思う。
それよりもいかに伝わるように言語化をすることが偏重されているのではないか。

講師の方がおっしゃりたいことは、考えすぎて考えすぎて自分の声が聞けなかったり、感情の揺らぎに気がつけなかったりすることが多いのでもっと自分の声を聞いた方が体の為にはいいよということなんですが、この「感覚」というワードが私のなかで盛大に引っ掛かりました。

私はアウトプットするのが苦手て、特に人前で話すのが大の苦手です。
恐らくそんな人たちが多く、どうにかしたいという需要が多いから言語化に関するビジネス書や自己啓発本が山ほどでているのでしょう。
自分のなかでも言語化って大事だ!と思っていました。
賢治だって自分の感じたことをあんなに詩や童話に残しているんだから、言語化ができる人なんだ!言語化ができるからあんな表現ができるんだと思っていたことに気がつきました。

でもよくよく考えてみると、賢治の詩は「心象スケッチ」と言われるように、心に思い浮かんだことをスケッチするように書き留めているだけなんです。
言語化の人ではなく「感覚」の人なんです。
むしろそれしかない感覚100%の人。

春と修羅なんて初見の人からすると難解極まりなく、科学用語が使われていたり、ギリシャ文字が使われていたり、自分で造語をつくってしまったり自由にもほどがあります。

広辞苑並みの分厚さを誇る、「宮沢賢治語彙事典」なる本が出版されたこともあります。他の文学者にはこんな本ないです。
それだけ賢治の詩や童話は1個1個のワードを紐解かなければその奥にいくことが叶わないのです。
しかも賢治の場合、彼の興味の範囲が広すぎるがゆえに、賢治について本を出版する人も日本文学者や詩人のみならず、宗教家や天文学者、地質学者に自然科学者、音楽家、はては菜食文化研究家と幅が広すぎます。

つまり賢治は好きなことを感覚的にやって生きていた人なのです。

進学なんてしなくていいと政次郎さんに言われて、
暗い顔で嫌いな家業の店番をしていたら、あまりの暗さと生気のなさに
もう進学しろと…諦められたら主席で入学してしまう。
なんとわかりやすい人でしょう。

好きなことのために全力投球している姿が、
私にはうらやましくもあり、
私にはできなかったことだった。
おそらく自分の中で抑えていたものだからこそ、魅力的に映るのだろうなと感じたのです。嫉妬や羨望という執着と言っても良いかもしれません。

彼の生き方や表現をみて心が揺れ動くのは、自分にできなかったことをや自分がやりたかったことを全力でやっているからなんだ、と腑に落ちたのです。

二十面体のような賢治には多種多様な魅力があります。そういえば今までそこまで深く賢治と向き合ったことがないと思ったので、もっと向き合ってみたいと思いました。

ということで、これから賢治のことを独断と偏見でいろいろお話ししていきたいと思います。

あなたは賢治のどこに惹かれますか?


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