親子といえども違う人間なので。
書く習慣1ヶ月チャレンジ、5日目は「昔はどんな子供だったのか」
農業を生業としていると、「休日」が曖昧になります。
当たり前ながら天候や野菜相手なので基本カレンダーは関係なし。
週末にマルシェや出展イベントが入ってくると、土日はもはや仕事でしかありません。
年長と小1の男の子2人を育てているのですが、保育園や小学校が休みの日は出展イベントに連れて行ったり、義母にみてもらったりしているので、家族みんなで遊びに行く時間がなかなかとれないことがよくあります。(’私と子供だけとか夫と子供だけ出かける時間はたまにあります)
子供たちが無茶ぶりなみのわがままを言ったり、
翌日の支度もせずに遊んでばかりいてどうにも言うことを聞いてくれなかったり、
朝っぱらから不機嫌な子供とけんかばかりしていると、
親としては、もっと話を聞いて子供と向き合う時間をとった方が良いよな…と反省もします。
とはいえ、子供たちはわがままも言いたいこともやりたいこともストレートにぶつけてくれるので「そこまでむちゃくちゃ我慢していることはないのかも」と感じることもあるわけです。なんだかんだ、のびのびと育っていることに安心もしています。
私は幼い頃の記憶があまりないです。
じっくり思い出せばいくつか出てくるのかもしれませんが、それこそ「昔どんな子供だったのか」と聞かれると、
古畑任三郎ばりの「えー…」を何回か繰り返し、しばらく黙って考えてしまうと思います。
でも、自分の子供たちをみていて「こうだったかも。」と思ったことがありました。
人の目を気にしながら大人に気を遣う子供(でも本当はめっちゃ甘えたい)
一言で言うとこんな感じでしょうか。
私の両親は共働きで、小学生になる前から実家には母方の祖母がお手伝いに来てくれていました。同居というわけではなく、週に何日か泊まり込む感じです。父親は定時で帰ってくるけど、母親は三交代の仕事で夜勤の日もありました。
子供ながらに仕事が大変な親に迷惑をかけてはいけないと無意識に感じていたと思います。祖母も年齢は70代くらいでしたが、腰が曲がっていて見た目に結構なおばあちゃんでした。そんな環境の中で、ホントは甘えたいけど、その感情をストレートに出すことはなかったかも、と思うのです。
母親が遅番から帰ってくるのを、今か今かと待っていた記憶はあります。(母親が帰ってくるのを車のエンジン音で察知していました)本当は母親にもっと早く帰ってきてほしい。たくさん話をしたい。
けれど、その気持ちを外には出しませんでした。
たぶん、それをどう伝えて良いのかが分からなかったんだと思います。
もちろん両親には感謝をしています。
長期休みになると必ず家族旅行に入っていたし、山が好きな両親のおかげでいろんな山にも登りました。大好きな宮沢賢治の岩手旅行にも連れて行ってくれました。ピアノをやりたいと言えばピアノを買ってくれて、吹奏楽を始めれば高い楽器も買ってくれた。高校では海外の姉妹校にも行かせてくれたし、大学にも行かせてくれた。
兄妹3人ですが、親として何不自由ない子供時代を過ごさせてくれたことは並大抵の努力ではできないと思います。
ただ、おそらく私の家族(実家)は家族同士の会話が少ない方だと思います。(兄妹がどうだったかは分かりませんが)学校で会ったこと、友達のこと、自分がしたいこと、悩み事、好きなもののことなど自分から話した記憶がないのです。
自分の子供たちが、小学校であった行事の話とか保育園で食べた給食の話とかたわいのない出来事をあれやこれやと話しているのを聞いていると、ふっと「こんなふうにしゃべれるんだな。自分の子供の頃はこんなに話してなかったな」と思ったりするのです。
元々の私の性格もあるでしょうし、当時の家族の環境がそうさせたのもあると思います。両親は仕事のことで手一杯だったこともあったのでしょう。
そういうふうに、子供ができて育児をしていると自分の子供時代と向き合う時があると思います。
親とのコミュニケーションで自分がこんなに寂しい思いをしていたのだから、自分の子供にも…と無意識に思って、向き合う時間を作らなきゃと感じていたのかもしれません。
でも母親と私は違う人間で、父親と夫は違う人間で、
私の子供たちは育つ環境も違って。
あのころ感じていた両親への思いを、仮に自分の子供たちが抱いていたとしても、その受け止め方は違うかもしれない。
昔感じていた思いを、
大人になってから子供たちに教えてもらうことがあるなと感じました。
たぶんこれからも、子供の成長にあわせて、
たびたび昔子供だった自分が出てくるのだと思いますが、
あのときの自分はこう感じていたけど、
目の前の子供たちはこう感じているかもしれないなと、違いを楽しむのも子育ての楽しみなのかなと思ったりしました。