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Sinfonia(第3号・上)2024年11月5日

──これからのクリスチャン・ライフスタイル──

♬ 前奏──はじめに

活き活きとした文体で思わず引き込まれる古川氏による書評に、ナウエンの最高傑作が登場。小野氏の連載は、幼いころの甘酸っぱい思い出と絡めた「いちごケーキ」。中村氏は、神をもっと身近にしてくれる目からウロコのエッセイ。K氏は、興味深いアニメ動画(プラトンの寓話)を紹介。強烈です。



◎現代の古典を読む:H・ナウエン著『放蕩息子の帰郷』──古川和男

ヘンリ・ナウエン著、片岡伸光訳
あめんどう、2008年(B5変形上製)、2022年(A5並製)


作・レンブラント

大宴会に招き入れる父

ぼくと「あめんどう」との出会いは、『イエスの御名で』(*1)だった。それはカトリック司祭である著者ヘンリ・ナウエンとの出会いでもあった。徐々にプロテスタントで同書が読まれ、1996年にナウエンの訃報を知り、遅まきながらナウエンを読み漁り始めた……はず。そのナウエンの「最高傑作」と言われる『放蕩息子の帰郷』は、ほんとに美しい本。何度も読み、教会の集会で二度読み……いや何度読んだだろう。ぼくの「マイ・ベスト・オブ・ナウエン」だ。

本書は、レンブラントの絵「放蕩息子の帰郷(帰還)」との出会いから書き始められる。その絵の深さ、すばらしさと、レンブラントの生涯、そしてナウエン自身の生涯が、ルカ15章の「放蕩息子のたとえ」という縦糸に対する横糸となって、本書が織り上げられていくのだ。

弟息子

霊的生活でもっとも困難な課題の一つは、神の赦しを受け入れることだ。わたしたち人間の内には、神がわたしたちの過去を帳消しにし、まったくの新しい始まりをもたらしてくださるのを妨げ、罪にしがみつかせる何かがある。(72頁)

本書でもナウエンは驚くほど正直で、自分の闇や愛へのためらい、人への恐れを率直に開示する。父に愛されていながら遠くの国に飛び出してしまった弟息子の思いは、キリスト者にとっても無縁ではない。本書でナウエンは終始「わたし」という一人称での語りを基調としている。聖書からの一般論としての人間心理ではなく、聖書によって浮き彫りになった、徹底して自分の証し。だからこそ、その語りはぼくにとっても「わたし」のことになる。レンブラントもナウエンも、このたとえ話に自分の生涯を重ねたように、ぼくもこの譬えを、マイストーリーとして読ませてもらえるのだ。

兄息子

神はしきりにわたしをうながし、わたしに嘆願しておられる。死の力にしがみつくのを止め、わたしがもっとも渇望しているいのちを見出せる場に導く腕で、わたしを抱かせて欲しいと請い願っておられる。(115頁)

説教者として、ルカ15章に取り組んできて、兄息子と父のやりとりこそこのたとえ話の要(かなめ)だと気づかせてもらったのは、割と早くからだった。なのに、これまでそれを説教するといつも、「初めて兄息子のことを話す説教を聞きました」という感想が返ってきた。なんでだろう? だから、その「放蕩息子」をあのナウエンが書いていたと知って、読む前からワクワク楽しみにしていた。

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