巳よりも辰が、格好いいと思っていた幼少期
2025年1月6日
今年は巳年だ。僕も巳年なので、年男である。2001年1月生まれの早生まれ。
幼少期の頃は、辰年の方が羨ましかった。明らかに竜の方が強そうだし、でかいし、空飛べるし、比べて蛇は這うだけだと思っていた。蛇より竜の方が格好いい。
しかも、早生まれゆえに周囲の大半は辰年であるわけで、コンプレックスは常に刺激されていた。巳年だと馬鹿にされたくなくて、幼稚園では嘘をついていた。お迎えのバスの車中で、みんなに僕も辰年だよとせっせと流布していた記憶がある。
いま考えるとあほらしいと思うが、あの頃は本気で悩んでいた。幼稚園内での世間体にかかわる大事なことだった。
とはいえ、それも次第に落ち着いてはいった。ただ、蛇ってねちっこい印象があって、執念深さというマイナスイメージだけが地味に尾を引いていた。さすがに今は何とも思わないが。実際、僕は執念深いし。
ただ、申し訳ないけれど、いろいろ譲ってみても、やはり蛇は竜の下位互換だとは思う。
こういう生まれのコンプレックスはもう一つあった。2001年生まれなのが悔しくて、ずっと2000年生まれが羨ましかった。キリがあまりにも良い2000年。西暦という規模の大きい数字群の中での、でかい綺麗な数字が僕には光り輝いて見えていた。自分の手元にある2001年の1年部分が本当に嫌だった。
そんでもってこの、2001年生まれコンプレックスは、巳年コンプレックスと同じく早生まれだったことが原因だ。だって目を背けようにも、同学年は辰年の2000年生まればかりで、どうしようもない。コンプレックスを解消することは難しいことだけど、このパターンは今考えても本当に難しいと思う。常に憧れを目にしなければならないし、かといって生まれ年は不変だし。
当時はこの二大コンプレックスが僕の中の悩みの大半を占めていた。親に言ったら、あんたは21世紀最初の子なんだから格好いいだろと返された。その時は意味が分からなかったが、あとあと世紀の概念を知って理解はしたけど、2000年だって20世紀最後の子なわけで、同等の格好良さがあるから、意味ないと思った。
そして、そもそも生活の中で、世紀を気にする瞬間なんてほとんど無い。だから、結局のところ、世紀はどうでもよくて、2000年はずっと格好よくて、そんな感じで月日は流れて、こんな悩みはどうでもいいなと思い、今に至る。
全然関係ないけれど、もう24歳で人力舎内でも同い年の芸人さんが後輩として入ってくるようになって、少し嬉しい。
二個後輩の楽願の平山さんは、僕と出身地が同じ神奈川県で、同い年、同じく陸上をやっていた。そんでもって、同じ陸上の大会に出場していた。びっくりした。そういうこともあるんだな。神奈川県民の陸上部員御用達の、横浜・三ツ沢競技場を走っていた話で盛り上がった。僕ら以外誰も興味が無い話だったけれど、楽しかった。