補完で結構、コケコッコー
2024年11月2日
体調を崩してしまい,昨日も今日も部屋の中.大の字に開いたら1/3がはみでるベッドの上で.あのぅあなたよりぃ忙しい人の方が大半を占めているんですよねぇ,これ以上ぉ一体何を休むのですかぁ,と聞こえてくるのは気のせいでない.
「もう」.何の解決にもならず,かといってなんの感情も表していない,どうしようもない二文字を口に出す.
阿呆面で天井の梁を眺めてみれば,何にも属していない自分にピントが合って,決まり切った時間の流れの隙間にすこんと落ちていく.隔絶されたパラレルワールドの間,不可逆的な観測しかできない存在,やだぁめっちゃ怖い.
「タイムマシンに乗った気分で 6畳の部屋でないものねだりになってるよ」
KANA-BOON「羽虫と自販機」の一節.この曲はMVがあってもいいぐらいによい曲,というかむしろするするっと物語を補完してしまうぐらい.
定期的に息を吸って水を飲んで横になる.やいのやいの寿命が短いと揶揄される蜉蝣の方が,まだ繁殖という目的がある分,僕よりかはマシだと思う.
仕方ないので,YouTubeの動画を流してみる.いつのまにか無意識に辿り着いた動画がマッサージのASMRだった.
なんの需要があるのだろうとやけくそで流してみたら,これが思いのほか気持ちがいいではないか.静寂の中でぽくりぽくりもぎもぎと鳴る.目を閉じて,はいマッサージ!はいマッサージ!マッサージ!と力技で思い込んでみれば,あら不思議,じんわりと指で押されている気分になるではないか!
暗闇,患部に意識を集中して,音で感触を補完する.こういうどうでもいいことに関しては,あらん限りの集中力を発揮する.やがて,マッサージ師の手の動きがわかる.この道70年,今はドバイのホテルで専属のマッサージ師をやっているのだ.
ドバイのホテルというなんとも浅はかなお金持ちっぽい代物しか出てこないあたり,想像力が欠けていると思われる.哀しい.
音に合わせて頑張って妄想を続ける.部屋の幾度となくひっくり返してぼろくそになった加湿器は今やアロマ的な装置でぶんぶん言ってる.木の板のご本人っていったらこんな感じだろうというぐらいに木の板な天井は,点々模様の白いジプトーン.
「あの模様,日本の本州に見えるけど,目を離したらどこにあるかわからなくなるんだよな,それっ,あやっぱり,本州どっかいった」
ふと妄想の世界に「ぐるぐるぐる」という音が.うんなんかお腹の音がしたぞ.はて,どこからだろう.動画を10秒戻してもう一度見たら,動画から鳴っていた.マイクはマッサージ師のお腹についている.マッサージ師のお腹の音がばりばり入ってる.
まあ確かに撮り直すのも大変だしね.でも撮り直しになったら,マッサージされる側としちゃあ,もう1回されるんだから嬉しい気がする.というか,マッサージされて気持ちがいいだけじゃなく,それでお金も稼げるなんて,なんと素晴らしいビジネスなんだ.
余談だが,僕は耳かきが好きで子供の頃,しょっちゅう親にしてもらっていた.当時,本気で耳をあと2つほど増やすにはどうしたらいいか考えていた.もし4つもあったら,最初に右耳をやってもらっていつもは「はぁもうあと左耳の1回だけだ」と落ち込んでいたところ,「おほうこんな気持ちのいいことがあと3回も残っているなんてみょーん」と小躍りも辞さない.つけるとしたら頭に1個であごに1個か,あごには右耳をつけるべきか左耳をつけるべきか.
とはいえ,耳かきもマッサージもやりすぎは快楽を薄めるため,気をつけなければならない.日々の節制が大切.マッサージやってもらっているASMRの人,どの動画も毎回同じ人だけど,こんなにもコリを取ってもらっていたら,だるんだるんになってしまうよ.
そんなわけでASMRの意義を知る.生活音が入るのもなんだか面白いな.そういや,よく聴く怖い話の朗読動画も読み手の方がめっちゃ噛む.噛んで読み直してはまた噛んで.もう4,5年ぐらい聴いてるけど,ずっと噛んでる.まあそれがいいのだが.
耳かきでもう一つ.小学生の当時,テレビを観ながら母に耳かきされるのが好きだったのだが,どちらかの耳をやってもらったら反対を向かないといけないため,母の腹を見るしかなかった.
腹はつまらない.それをどうにかしたくてずっと考え続けたある日,天啓を得た.僕自身が上下を変えればいいのだ.すなわち,片耳が終わったら,頭と足の位置を入れ替えてテレビの方を向けば,先程とは反対の耳が母へ向いているではないか.
こんなことばかりに全力を尽くしていたあの頃,懐かしく思いはすれど,今が劣っているとも思わず,時折1人で銀色のスプーン型のそれを慣れない手つきで高まる熱情とともに耳へ差し込んでいる.
こんなどうでもいいことを書いてしまったが,コンビ名をいろはラムネから花ブービーに改名した.今後とも花ブービーをよろしくお願い致します.