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いっぱいいっぱいで良し

 2024年11月11日

 "言質"を聞くたび,言葉が人質に取られた光景が浮かぶ."言質"は証拠となる言葉という意味で,言質を取った,という風に使われる.なーんか,言葉が人質に取られたっぽくないか.お前の証拠は預かったぞという感じで.言葉版人質,言質.


 今日,308円のお会計で1010円を出すことができた.嬉しかった.いつもだったら,1000円で止まって,お釣りが多くて嫌だなと思っていたから.それよりなにより,嫌を嫌のまま終わらせず,嫌をなくすための行動が出来たから.

 嫌,という感情を見過ごしてしまうと,自発的な行動を起こす,つまりは問題を解決するきっかけを失う.嫌をため込んで生きてきた僕はもう少し,嫌,という感情にきちんと向き合った方がいい気がする.でないと,いろんな問題をずるずる引きずって歩くことになる.


 永原真夏「君の話」にすごく胸をうたれた歌詞がある.

「すべてのものに寄り添えと うるさい時代が到来した
 僕はたった一つにしか 寄り添えないんだよ
 寄り添えないからさ 君の話を聞かせてよ」

 うっすら思っているけれど,おいそれと声には出せなくなっていることがたっくさんある.マジョリティーもマイノリティーも,ひとくくりに出来ないはずなのに,画一化して捉えようとしてしまう.でも仕方がない.生きているとあまりに処理しなければいけない情報が多くて,個別に考えていたら,疲れ果ててしまうもの.僕だってそうだし,先入観という画一的な概念頼りで捉えようとしちゃう.

 こんなちんけな僕が言っても仕方がないし,一人山奥で暮らしているに近しい奴がしゃしゃるなと思うけれど,様々な場面で同時多発的過剰が発生していて,憎悪が独り歩きし始めている気がする.本当に憎いから怒っているのかな,怒りたいから憎いと思っているじゃないのかな,僕はこまめに人やアバターの言葉に触れていないから,断言をする資格は無いけれど.


 そういうもやもやの漂う日々の中,ばすっと差す光のような歌詞だった.どういう意味でうるさい時代なのか.単なる時代批判ではない.人間の持つ優しさを考え抜いた上でうるさい時代なのだ.だから,この歌詞にどうしても耳を傾けたい.半径1mでいっぱいいっぱい,それを分かった上でその中でありったけの優しさを注ごうと試みることはなかなかできない.



 昨日も今日もネタ練習.ファミレス,公園,カラオケを転々としていた.なんだか最近,考え事ばかり書いている.本当はもっとおもしろい元気になる話を書きたいのに,なんだかなぁ.それもこれも全部秋のせいだ.お腹もすごく空くし.


 読んでくれた人が元気になりそうな話をがんばって考えてみた.

 僕の話.今年に入ってから,アナと雪の女王によく出てくる雪を手から出す人はアナじゃなくてエルサという名前なのだと知った.アナと雪の女王を観たことが無くて,よくテレビに出てくる雪を手から出す人が,きっとタイトルにもあるアナなのだろうなと思っていた.ある日ふと,アナが雪を手から出す人なら,続く雪の女王は一体誰なのだろうと数秒考えりゃすぐわかる矛盾に気が付いて,勘違いが判明したのだった.

 どうだろう,なんかの足しになっただろうか.


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