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【午前十時の映画祭11】映画『イングリッシュ・ペイシェント』を観てきた【27分の27】

ごきげんよう。雨宮はなです。
このシリーズの最終作品は名前もまったく知らない、どんな話か見当もつかない作品でした。さて、事務局オフタイムを聞いて自分なりの楽しみ方を見つけるとしましょう。

※ここから先はネタバレを含みますので、ご了承いただける方のみ読み進めてください。

恋愛映画の大作

「最近は恋愛だけで構成された作品があまりない」とご指摘されていて、確かにと思いました。恋愛は何かの添え物っていうのが、映画でも現実でも最近のベーシックですものね。それこそ「スパイス」程度に扱われるものをメインの素材にするって、しかも、それでアカデミー賞とったってどんなものだろう?

実際に作品を鑑賞してびっくりしたのは、戦時中とか成人っていうのを差し置いて、やっていることは中学生や高校生と変わらないということです。主人公もヒロインも、まあ思考回路の幼いこと!恋愛モードになったときの脳みそって本当に怖いなぁと思わされました。このメインの3人の誰も好きになれることができず、役者さんたちが全員美形だから観ていられたなぁというのが正直な感想でした。

だって、自己抑制できない童貞脳学者とわがまま勝手不倫女と浅慮即泣き脳内お花畑女ですよ。好きになれってほうが難しいです。「はぁ?」と思わず声を出しそうになったのは、主人公がべりっとキャサリンのワンピースを破いたシーン。勢いあまる情熱?止められない感情?私には自己制御できない男からの押しつけと暴力に見えました。

人を尊重するということ

キャサリンとは違う我慢のできなさを表すハナですが、ラストシーンでアルマシ―の意図を汲み取り、希望を叶える選択をしたのは勇気があると思えます。ですが、それは彼女がとるべき責任なだけで「すばらしい!」というには足りないなという認識です。女優さんが美人だったから美しくみえるだけで、仕事しただけですからね、彼女は。

ただ、私はこのシーンはとても意義があるシーンだと思います。なぜなら、「死を選んだ人間の選択を尊重した」からです。もともと死が近くて一人では生命維持も大変な後見人もいない相手だからかもしれませ。ただ、今よりも尊厳死が受け入れられていないであろう時代に、尊厳死のシーンがあるというのが素晴らしいと思ったのです。「尊厳死を受け入れる」のは最も難しく、相手を思いやったうえでの尊重だと考える私にはこのシーンがあることでこの作品は意味を持ちました。

考えてみれば恋愛は、相手のためと謳った自分本位をどれだけ望むだけ成立させるかというものであって、それだけでは現実でも映画作品としても非常に陳腐です。この作品では所々に「人を尊重するか否か」の選択肢が表れます。登場人物たちなりに選んで物語が進みますが、最後の最後で現れた選択肢は私たちに「あなたもこの選択をする可能性がある」ということを教えてくれます。また作品を通して「自分を大切にするだけでなく。相手を尊重した選択をするべきである」ということを伝えてくれてるのではないでしょうか。

ウィレム・デフォーとコリン・ファース

OPクレジットで心が躍ったのは「ウィレム・デフォー」と「コリン・ファース」の名前を観たときです!どんな役回りなのだろう、彼らが演じるということは重要な役柄に違いない!そんなメタ思考でテンションが上がっていました。

…どちらも不憫な方で、心が痛かったです。復讐と嫉妬の権化になってしまわれて観ていて辛かったです。

さいごに

邦画では感動ポルノか少女漫画原作でしか見かけなくなってきた恋愛映画。ラブコメでもロマコメでもなく、「恋愛映画」を観られたという満足がありました。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。

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