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映画『牛久』で知った、施設と従業員の危険さ

ごきげんよう。雨宮はなです。
先日、”『牛久』を観て、日本人であることを恥じた。”という記事を投稿しました。この記事では映画作品を知ったきっかけや、私たちがやるべきと感じたものを書きました。そのなかの一つの項目として「現代のアウシュヴィッツ」と名前を付けた章があります。

今回はその章で書き切れなかった内容をまとめています。
作品を鑑賞した際に強いショックを受け非常に憤りを感じたものについての投稿なので、強く非難するような表現もあります。理解のある方のみ、読み進めてください。

施設というよりも牢屋

きちんとした手順を踏まなかったり、不正に滞在する外国人がいるのは事実です。しかし、それは全員ではありません。この作品に出てくる協力者たちや彼らの仲間たちは、少なくとも該当しません。それなのに彼らはまるで牢屋のような建物に、信じられないほど長く閉じ込められています。
協力者の一人は言います、「私は2年以上ここにいますが、それでも新参者です。私の倍以上の期間ここにいる人がたくさんいます」と。必要書類を揃え、審査をしたうえで解答を出すまでに必要な期間とは思えません。

そもそもなぜこのセンターにとどまる必要があるのか。入国者収容所入国管理センターはホームページ上で「収容・送還」を業務内容としています。やさしい日本語で書いているページはこちらを押すとページが切り替わり、そこには

仕事について:収容<=在留の法律などを守らなかった外国人を、センターの中で管理します>・送還<=法律を守らなかった外国人に、日本から他の国へ帰る命令をします>

と記載しています。
下の画像は該当ページをスクリーンショットしたものです。

スクリーンショット (81)

私はこのページを読んでそもそもが間違っていると思いました。彼らのほとんどが「収容・送還」の対象として該当していないのです。なのに、違法行為・犯罪をおかした前提で扱われているのです。

まるで犯罪者のように扱われる協力者たち

この映画は、監督・撮影・編集を全て担当されたインタビュアーでもあるトーマス・アッシュさんと面会をした人たちとのやり取りをメインに構成されています。協力者たちは惜しむことなく自分の状況や考えを伝えてくれ、面会を重ねるごとに監督との信頼が深まっているのがわかります。自分たちも大変なのに、一緒に収容されている仲間を思いやり、コロナが流行ってからは監督を思いやり、タイミングを見つけては電話をかける優しさと思いやり。

そんな人たちを収容し、まったく理由なく暴力を振るっている様子を目の当たりにしてしまい、呼吸が上手くできなくなりました。そう、収容しているのです。罪もない人を、犯罪者のように。

先の大戦中の帝国軍、ナチス軍もびっくりな罵倒と暴力による支配が施設の中では横行しています。また、本来の仕事はろくにされず勝手なルールをその場で作り出し、外国人の方の依頼は最初から受け付けられることはありません。(面談対象への物の受け渡しなど)

そのせいでしょうか。施設内は撮影禁止、施設の様子や扱いを手紙等で外部に伝えることも禁止とされています。これは施設によって異なるそうですが、そもそも異なることがおかしいと思います。自分たちの行いや言い分がおかしいとわかっている、許されないとわかっているからこそ、外部に知られるのを恐れているのだと感じました。

素人による殺人手前の拷問

犯罪者であっても日本人であればもっとマシな扱いを受けるでしょう。東日本入国管理センターの職員たちは収容している外国人の方を明らかに見下しています。彼らが真っ当な訴えをしている協力者を罵声と暴力で押さえつけている様子が何度も写されます。同じシーンではありません。何度も、違うタイミングで無意味な暴力を繰り返しているのです。

ひとりを抑えるのに、右腕に2人、左腕に2人、右脚に2人、左脚に2人、首に1人と最低9人がかりです。それも、勉強もしていなければ訓練もされていない素人が無理やり力づくで抑え込みます。ですので、抑えられる対象にかなりの負荷がかかります。特に首を圧迫している様子はスクリーンごしでも危険なのがわかるくらい、本当にあと一歩で死んでしまいかねないものでした。抑えられている方が何度も「息ができない、死んでしまう、止めて、助けて」と訴えているのに「静かにしないか!」と明後日の方向に怒鳴り返します。その間も力をゆるめません。殺す前提の拷問です。あれは拘束ではありません。

首だけでなく、腕も背中に回したうえで無理やり上に上げさせ、間接に負荷をかけて痛めつけていました。「この体勢は無理です、痛いです、止めてください」と訴えているのに「暴れないか!いうことをきくか!」と頓珍漢なことを怒鳴ります。

観ていて腹が立ったし、吐き気がしました。同じ日本人だと思いたくないし、こんな人たちにお給料を払うために税金を納めているのかと憤りました。施設にいる協力者の方がよほどお金の大切さや有効的な使い道をわかっています。「私たちを収容するのに何人も人を雇って、税金がもったいないよ」と仰っているのです。彼らの方が、よほど日本のことを考えているといえるでしょう。

医療行為の剝奪

人体への暴力の他にも様々な問題が山積みです。センターに収容されている人の中には、けが人も病人もいます。そんな彼らへの医療行為が満足に行われていないことが作品中に明かされます。

強制退去させられそうになった協力者はけがをしても医者を呼んでもらえず、「体がいたい」と訴えていました。身体の病気でなく、施設の窮屈さと従業員からの暴力のせいでメンタルを病んでしまっている方は少なくなさそうです。別の若者は「ここで人生を使っている意味がわからない。死んでしまいたい」と明かし、別の仲間が心配して監督に電話で伝えるシーンもあります。「医者を呼んでください」と何度頼んでも呼んでもらえなかった、かってに却下されていた、とも。

心療内科やカウンセラーにかかることができた描写はありません。
別の協力者もメンタルを患ってしまい、短期間に何度も自殺未遂を起こしてしまいます。その様子を仲間が絵に描いてくれ、外部に施設の悲惨さが伝わりました。映画内でもみることができますが”観ていてつらい絵”にであったのは初めてでした。

さいごに

他にも、外国人の方と接する場合にカメラを回して記録するのがルールなのだそうですが従業員にとって都合の悪い部分ではカメラを回さないという不正行為が行われたり、「弁護士に頼めばいいだろ」「訴えてみろよ」と自分たちの安全を確信したような煽り方をするシーンがありました。

難民に対してまともに向き合うつもりがないのが、制度や運用だけでなく施設従業員をみても明らかです。なにがG7なものかと思いました。難民の受け入れが簡単でないにしても、そうであれば「受け入れられません」と返答するべきなのです。形ばかりつくっておいて”G7”とやらでいるために不誠実な対応をし、期待だけ持たせてひとさまの人生を無駄にするだけでなく人権まで奪っているようでは、他国者を殺しているのと変わりないといえるでしょう。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。

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