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映画『オルガの翼』は翻弄される少女たちの青春物語だ

ごきげんよう。雨宮はなです。
Twitterキャンペーンで招待状をいただきましたので、9月4日に鑑賞してきました。
この日は登壇イベントもあり、色々な情報の補完ができたのが嬉しかったです。

好きになれない「オルガ」「母」「親友」

短慮で無責任はもともと好きじゃない

ハッキリ言ってオルガは好きになれませんでした。
自己評価が高すぎるし、人の話を聞かないし、考えが浅すぎるからです。

「だって15歳だし、しかたないよ」
「自分の国にいられなくなったんだよ」

そんな声もあがるでしょう。
ですが、映画の途中から彼女はただの子どもではなく契約を交わした「プロのチームメイト」です。
自分が望み、選んだ道でもあるのですからそれ相応の態度が求められます。

作品の中でオルガは何度もコーチや他者から指示/忠告をされます。
ですが、彼女はそれをことごとく無視し、感情と自己都合で選択をします。
私、こういう無責任な判断をする人が嫌いなんです。
後で紹介しますが、クライマックスシーンを観ても、「何してくれちゃってんの?」としか思えず、好きになれませんでした。

毒であっても「子」にとっては「母」

好きな仕事をするのも、その仕事に邁進するのも個人に認められた自由のひとつでしょう。
母親になったら諦めなければならないと強制されるものではありません。
とはいえ、オルガの母は子育てに必要な時間を割かないだけでなく、彼女に理解や妥協を強制していました。
「少しは私の話をきいてよ」なんてセリフも飛び出します。

互いをいち個人として認め合うのは大切です。
ですが、彼女のそれはまるでオルガを子供でなく、成人済みの自分の友人として扱っているようなものでした。
オルガに甘えているともいえます。

ハッキリ言って、彼女はオルガにとっては毒にしかなっていないと感じました。
それでもオルガは何度も電話をかけたり、自分の話をすることで「母」に認めてもらおうとします。
その人がどんな人であっても、子供は「母」を求めるのだなと思わされた母娘でした。

民衆を投影した「親友」

自分に自信満々なオルガとその親友。
けれど、親友はどうしたっていつも2番手でオルガが“ボス”。
甘んじているようで納得というか、消化しきれていなかったのでしょう。

オルガがいないなかで、広場での活動に参加している彼女はものすごく自信に満ちた表情をしています。
振り切れてしまって、大切な試合で自由を叫び始めてしまったことも。
かと思いきや、活動が過激になったり自分たちが不利な状態になると、オルガに「平和な場所にいて、何もしていない」と悪態をついたり、「もう広場から出る、やめる」とべそをかきます。

“みんな”がいて優位な状態でないと勢いがなく自信を保てない…ああ、彼女は民衆そのものの擬人化なのだなと思いました。
あの広場にいた人たちを詰め込まれたキャラクター。
未成年で女性のキャラクターにすることで、「女・こどもはちゃんとわからずに巻き込まれた」という表現もしているのかもしれません。

イベントで知ったこの映画の面白さ

この日は矢田部吉彦さん(前東京国際映画祭ディレクター)が登壇し、ウクライナの歴史的な背景や映画について様々な解説をしてくださいました。
正直、この解説を聞かなければ私は「短慮で無責任な自己評価が高いだけの少女を眺めただけ」と思っただけで、劇場を後にしたことでしょう。
とても有意義な時間をありがとうございました。

①特殊な画面サイズ

IMAXカメラではありませんが、普通の画角よりも少し縦に長いサイズで撮影されています。
その高さで鉄棒の動きや、ベッドへ飛び乗るときの躍動感が効果的に演出されているのだと矢田部さんは語りました。

個人では全く気づけませんでしたが、たしかに高さが少し足りないだけで非常に狭苦しく感じただろうと思えました。

②「広場」の重要性

親友が活動する場所である広場。
これにリンクする「オルガにとっての広場」が「スタジオ」なのだと説明を受けてようやく色々と納得がいきました。

クライマックスにオルガがケガをした足で練習を始めて泣き叫ぶシーンがあります。
私はただ「ヤケを起こして監督・医師の命令に背いた無責任極まりないプロ失格な迷惑者」としか思っていませんでした。
ですが、矢田部さんの解説で見方が変わりました。

「広場で受けた親友の痛みをオルガは自分で受けようとした。オルガにとっての広場はスタジオで、体は未来への希望だから、それを失うことで親友に寄りそうという目的があった」
(メモをまとめたものなので、このままお話されたわけではありません)

プロのチームメイトとしての判断ができない彼女を、私が好きになることはありません。
ですが、彼女にとっては意味のあることなのだと知ることができたのは、とても有意義なことでした。

おわりに

スポ根とは違う、ご都合主義な恋愛の絡まない青春作品はひょっとしたら初めて観たかもしれません。
わかりやすい「学校」という施設は出てきませんが、思春期の少年・少女たちが集まればまるで「学校」のような雰囲気になるというのは非常に面白かったです。

オルガも彼女の母も親友も好きになれませんでしたが、作品は興味深く、ウクライナという国を知るきっかけとして非常に優れたものであると考えます。
まだ上映している劇場があれば、ぜひスクリーンで「高さ」を感じながら鑑賞されてはいかがでしょうか。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。

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