見出し画像

「ついでにパン買ってきて」みたいなノリで短編小説を依頼されたで

 五月四日。自粛してるのかゴールデンウィークなのか曖昧な昼下がり。曖昧な内容のメッセージが届いた。

画像1

 無茶振りにもほどがあるやろ。受けて立とう。Amazonプライムビデオの「スニッファー」(プライムオリジナルのウクライナドラマでお勧め)を中断してすぐに書き始めた。翌五日の十三時に3,944文字の短編が完成した。あ、もちろんフィクションです。
 

「Coffee is back.」

 ーーー今から五十年ほど前。新種のウイルスが全世界に蔓延した。感染による直接の被害の他にも、経済の大打撃、物流の混乱、外出規制による人々のライフスタイルの変化など、その影響の大きさは計り知れないものだった。歴史に名を残す「二〇二〇年の悲劇」。
 収束に向かいつつあるとWHOの見解が示された二〇二一年の秋、ウイルスは新たな突然変異によって再び人類に牙を剥いた。カフェインとの結合による爆発的な活性化である。その威力は、症例が初めて確認された二〇一九年の数十倍の感染力と致死率を持ち合わせ、どん底からの復興をようやく開始した人類に闘う力はもはや微塵も残っていなかった。
 全世界が受け入れざるを得なかった唯一の切り札が「カフェイン禁止令」である。ーーー

 歴史のレポートを学校へ送信提出したあと、竹嶋マコトは窓の外を見やった。薄暗い中空に規則正しくチカチカ光る幾重の筋はドローンロードである。昼夜問わず列をなして飛ぶドローンは必要なものを必要なときに必要な場所へ届けるライフラインだ。
 二〇二〇年頃はドローンによる配送はほとんど実験段階で、ピザの宅配が成功したニュースを見て驚いたと祖母から聞いたことがある。当時は人間が通る道を使ってあらゆる物の移動が行われていたらしい。どんな景色だったのかマコトには想像もつかない。

 「金曜の密解除はうちらのグループだよね? ユウジが面白そうな店、見つけたって。一四時現地集合なー。 :file "MAP-414" open?」
中指のiPhone端末から空中にメッセージが表示される。サチからだ。添付のファイルを開くと渋谷の道玄坂あたりだった。二ヶ月に一回の自由行動の日、外出着は何にしよう。サチのメッセージ画面を左にずらし、ゾゾクローゼットアプリを開いてコーディネートを選ぶ。G5114w381の荷札番号で発送が完了した旨の通知がすぐに届いた。

 朝の珈琲飴を口に放り込んで竹嶋祐希子はベーコンを焼き始めた。飴をころころと転がしながら鼻歌が漏れる。
「お義母さん、また珈琲飴を。カフェインは危険なんですよ」
「危険じゃなくなったから規制緩和されたんだって。朝のホットコーヒーはもう最高でなー。飲みてー」
「またその話。マコトにあんまりコーヒーの話はしないでくださいね」
「歴史を伝えるのが年寄りの役割」
「禁止令の話もちゃあんと混ぜてくださいよ」
「はいはいー」

 カフェインが解禁されたのは二年前の二〇六九年。コーヒーを取り戻したい研究者らの熱い志が、ウイルスに結合しない新たな組成のカフェインを生み出したのだった。研究はカフェイン禁止令が発令された二〇二一年からすぐに始められたが、安全性の確認や臨床試験を経てようやく流通が認められた。研究チームの平均年齢は六十八歳である。
 解禁とは言ってもまだ制約は多く、遺伝子組換え豆から直接ドリップするものは、ごくごく限られた富裕層の家庭にようやく普及し始めた段階である。
 祐希子が舐めていた「珈琲飴」は人工的に精製されたカフェインを配合したものだ。「珈琲飴」の飲料も発売されているが、コーヒーを飲みたい世代の口には合わず、カフェインを禁止されていた世代からは嫌われ、マコトのような若者は興味を示さず、どこの売り場でも隅にちんまりと置かれている。

 道玄坂をのぼり、 マークシティを回り込むように左に折れると、密解除日に繰り出してきたまばらな人々すらいなくなった。古いビルの室外機が「ズーーーー」と低い音を発している。地図を見ながら歩いていくとレンガの角が所々欠けている雑居ビルの入り口にサチ達が集まっていた。皆と二ヶ月ぶりの軽い挨拶を交わしたところでユウジが
「これ、ここ」
とチョークでメニューが書かれた二つ折りの黒板を指差す。「家風江」の店名に続くメニューもどれも漢字で、どうやら全て当て字らしく内容はよく分からない。ユウジに続いて順番に地下二階まで降りると、「開店中」と札がかかっただけのすりガラスの扉があった。
 連れ立って店内に入るとマスク越しにも分かる焦げたような、それでいて少し甘い香りが広がっていた。いい香りだな、とマコトは思った。
 先に注文を取る形式のようでレジ前に客が二人、受取を待つ客が一人、カウンターの外に立っていた。
 「シングルアイスお待たせしました」と女性店員からグラスを渡された客はソファ席に向かう。
「ダブルオリジナルと、お連れ様はレスオレですね」
華奢で白髪混じりの男性店員が注文を確認する。ユウジ以外の仲間たちは顔を見合わせ
「ここって……」
とサチが不安げな表情を見せる。
「大丈夫大丈夫、親父の知り合いの店らしいんだわ」
あっけらかんと答えてユウジはメニューを見始めた。皆と一緒にマコトもそれをのぞき込む。このメニューはカタカナ表記だった。
「俺はアメリカン。ダブルで」
とユウジが注文すると、男性店員の眉が少し動いて肩を寄せ合うマコト達を見た。
「お客様、カフェインカードはお持ちですか?」
「持ってる持ってる、はいこれ。グループ用の許可証」
「失礼いたしました。ダブルアメリカンで承ります」
マコト達は目を丸くして互いを見合った。カフェイン? 許可証?
 皆おどおどとメニューを指差し注文してゆく。マコトは上から三番目のシングルモカを注文した。
「かしこまりました。あちらのカウンターにご用意いたしますのでお待ち下さい」
中指のiPhone端末で支払いを済ませると、男性店員が静かな声で付け加えた。
「くれぐれも、お気を付けて」

 席につくなり皆でユウジに質問攻撃である。なんでも父親の同僚の先輩が厚生労働省に勤めており、「ちょっとしたコネ」でカフェイン許可証を発行してもらったらしい。
 ヒソヒソ声で散々ユウジに文句を垂れたあと、
「とりあえず……試してみる?」
とのサチの提案で皆マスクを外す。マコトも中の黒い液体をしげしげと眺めてから両手でカップを持った。カップが口元に届いた途端、なんとも言えない香ばしく芳醇な香りが漂う。店内に入った時は全体的に重みのある無口な雰囲気の香りに感じられたが、カップの中からは軽やかで楽しい感じの香りがする。どちらも似ているのに雰囲気が違って、そしてどちらもいい香りだった。
 それにしても黒い。あまりに黒い。祖母から何度も話を聞いてはいたが、もしかして現代版とかなのだろうか。ユウジとのやり取りで少し冷めてしまったコーヒーをすすってみた。
「なんこれ」
「苦っ」
「腐ってるんじゃない?」
ユウジも咳き込み、皆慌てて水を飲む。水で口を潤すと、後味に心地よく香りが残った。もう一口。水。もう一口。水。そうしているうちに水なしでも香りと苦味のバランスがクセになってきた。一口飲んでしばらく後味を堪能し、ゆっくりともう一口。周りの客を見渡すとやはりガブガブ飲んでいる人はおらず、会話や読書の合間にカップを口元へ運んでいる。マコトたちは二十分ほどかけてカップを空にし、二杯目の注文をしにカウンターへと席を立った。
 男性店員は首を横に振り
「申し訳ありませんがお替りは承っておりません。向こう半年のご来店もお断りさせていただいております。ですがまたのご来店をお待ちしております」
とマコトたちをやんわり店外へ見送った。

 帰宅したマコトは興奮気味に祖母の部屋へ駆け込んだ。祖母はマコトがコーヒーを飲んで来たことに最初は驚いたが、まくし立てるように熱弁するマコトに
「うん、うん」
と嬉しそうにうなずいた。
 密解除の日は必ずコーヒーを飲みに行くようになった。二ヶ月後はまだ家風江には行けないため検索でくまなく探したところ、他にもコーヒーを扱う店を何軒か見つけた。マコトたちはすっかりコーヒーの魅力に取り憑かれたのだ。半年後に訪れた家風江で男性店員は呆れ顔で
「それご覧なさい」
と優しく微笑んだ。

 その頃にはSNSを中心にアングラコーヒーの投稿が増え、トレンドとして若者に浸透していった。
 メディアは連日コーヒーとカフェインについて報じた。二〇二〇年以前の資料をかき集め、習慣的にカフェインを摂取した場合の影響について検証を重ねた。
 テレビのコーヒー特集を見ながら母は
「カフェインは中毒になるから流行るのは当たり前だわ。わたしは飲まない。ダメ、絶対」
などと古いキャッチコピーで決意表明を独りごちていた。

 マコトは祖母と一緒に「二〇二〇年の悲劇」前の著者が最近執筆した本や古本などでバリスタの知識を深めていった。知れば知るほどコーヒーは奥深く魅力的だった。
 流行はなお追い風であったが、依然カフェの店舗は地下に限られていた。カフェイン禁止令時代、根絶に力を注いだ団体の一部が官僚と癒着していたため政府は公にカフェイン解禁を推奨していなかったのだ。

 それでもマコトはコーヒーへの愛情をますます強めていたし、祖母も五十年ぶりのコーヒーを飲むたびに色んな思い出が蘇ってくるのだった。二人はカフェがいっときの流行として忘れ去られることを何よりも懸念していた。日常の風景に小さな彩りをもたらし続ける嗜好品。かつてのコーヒーの立ち位置を再び確立させたいとそれぞれ切に願った。

 一年後の二◯七二年、世田谷区下北沢に五十三年ぶりのカフェの路面店が華々しくオープンした。(ユウジの「ちょっとしたコネ」の大活躍により。)密解除の来店者に加え、端末アプリからのテイクアウトサービスも同時に行った。ドローンが各家庭へいそいそとコーヒーを運ぶ。マコトと祐希子が始めたカフェは瞬く間に規模が広がり、二人の強い想いである「日常の中のコーヒー」が定着する大きなきっかけとなったのだ。

 全国チェーンへと成長を遂げたカフェの店名は、祖母の祐希子がマコトにコーヒーについて話して聞かせた原点を残すために「ババーバックス」と名付けられた。


おわり。


発案 ハルトナル

執筆 アメミヤミク


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?