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もぐもぐ日記(2021/5/23)



・上手く行ってた時はこうしていたと頭で考えすぎてた。実戦の時は身についたと思って、忘れたほうがいいのかもしれない。
これも真面目さの弊害だと思うので、「できなくてもいいや」でいるほうが気持ち的に楽だし、上手く行きやすい。でもこれ「やらなくていいや」とは区別しないといけない。「失敗してもいいや」の方がいいのかな。


・頭も意識も声も固定しない。
型みたいになってしまう。体全体が常に流動している意識で。水の中にいるイメージなのかなと思ったりした。太極拳もこれに近い。

演技で不自由な状態ってどこかが力みすぎでいる事なんだと思うので、どうしたら体の隅々までリラックスしてできるかっていう特訓のようにも思う。


・やることは基本的に「相手に伝える・共有する」こと。それだけ。それ以外のことは考えない。
あとは体に任せろ。声が割れても気にするな。私は声に難ありで割れやすいから意識を持っていかれやすい。その特訓はまた別でやるしかない、無意識にできるようになるまで。



・「よーい」の状態でいる事。
いつパスが来てもいい状態にすること。
癖で瞬きで意識が切れる・リセットされる。
わたしはコミュニケーションにも難ありなので、おっかなくて構えてしまう。一言一言にびくびくしがちなので、心折れる隙がある。本当にコンマ1秒くらい。普段心を閉じ切ってるので、息継ぎで閉じちゃうんだとおもう。ガン開きで。疲れるけど。心底。役者やっぱり向いてねーわと思うほど疲れる。



・ドゥニャーシャをやる上で、
か弱さを見せる、好きを引き出したい、脅迫的である。この点がうまく結べなかった。
ヒントはエピホードフだったんだなとわかった。1幕と2幕の間に何があったのかを考えるのが足りなかった。背景ばっかり作って、目の前のこと見えてなさすぎて凹んだ。
「責任とれや」が今のところの最大の答え。もうちょっと踏み込みたい。

・最初から届ける。滑舌。一音一音はっきり。をがんばる。

・「何のために生きるのか」という点が桜の園にはよく出てくる。という話が面白かった。ドゥニャーシャは何のために生きるんだろう。私は何のために生きるんだろう。



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