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もぐもぐ日記(2021/3/28)

準備をしないということについて


ここでの「準備」というのは、「役」の準備ではなくて、「自分」の準備。

人の行動には目的がある。目的遂行の為に動いている。
ここで自分の体や出来不出来に注意を逸らしてしまうと、自分の意思の純度が下がってしまうから。無駄な障害になってしまう。

相手から注意を背けない。常に戦闘態勢というか、どこからボールが来てもかるーく返せる感じが必要なのだと思う。
砲丸投げや槍投げの選手が投げた後も叫び続けるのは、と投げたあとも飛ばす力が終わらないから。思考のエネルギーが投げた後も飛び続けている。

ここでの「準備」と「気合い」の違いってなんやねん


個人的な解釈としては、こんな感じ。
気合い→外向き(相手に注意を向ける)
準備→内向き(自分に注意を向ける)

気合いは「開く」イメージだ。
準備はやっぱり自主練でやるものであって、相手がいたら準備は捨てて、その場に集中しないといけない。相手に開くこと。が気合い。


思考は飛ばすのではなくて繋がるもの


意識を相手に飛ばすイメージを持ちがちだけど、出た時には伝わっている。体全体の気がが相手とつながる感じ。声帯は操作できないから体の中だけでやらない。体の外の空気を使う感じ。


正直、言ってても全然分かってない。

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