粉薬とシュクリム
これは粉薬の袋で、中に千円が入っていた。
いまだかつて飲み終わった粉薬の袋を再利用しようと思った人っている?
大阪屋のシュークリームが100円のチラシを見つけるとじいちゃんは私にシュークリームを10個買ってくるようねだってきた。これはその時にもらったやつ。冬に骨折してグループホーム入ってきた時も、シュークリーム買って持ってきて欲しいってわざわざ電話してきたな。
そんなじいちゃんが昨日、天国に行った。
じいちゃんは色々と分が悪い。
雪が降る中に自転車を漕ぎ、しっかり転んで骨を折ったし、公演の本番前日に私の車に乗って、盛大にぶつけて車の後方部のガラスを大破させた。この時、じいちゃんは既に免許を返納していた。悪いことやるとちゃんと痛い目にあうんですね、こんな風に。
数年前に大きな病気して調子が悪くはあったので、ずっと心の準備を繰り返していて。気持ち的にはそこからお別れを始めていた。認知症のことを長いお別れ(Long goodbye)って呼ぶって映画で見たことあるけど、そんな感じ。
先月から隔週で入退院を繰り返していたじいちゃんだった。毎回苦しくなると自分で救急車呼んでたらしい。精神力強過ぎない?
危篤だと連絡が入ったのは月曜の大雪の日だった。
大雪の中、親が車をスタックさせながら、そしてあたりにキレ散らかしながら、運転する車でばあちゃんと病院に面会にいった。
じいちゃんはいつもばあちゃんにキレ散らかしていた。(松井家はキレちらかす人しかいない)年々すぐ血管はち切れないのが奇跡くらいに怒鳴っていたが、ばあちゃんはまさかのスルースキルで受け流していた。
そんなばあちゃんが久々に大声で「じいちゃーん!元気だせー!」というと、あからさまにじいちゃんが「うるせえ」という顔をした。おや、意識がないと聞いていましたが…?
息苦しいから黙って寝かせてくれと言わんばかりの態度だった。ちょっと喋ってたけど、酸素マスクと息の荒さで殆ど聞き取れなかったのが申し訳なかったけど、なんだいつも通りじゃねえか。とちょっと思ってしまった。
ドラマでよく見る危篤とあまりに違い過ぎたが、やっぱり苦しそうなのでじっと腕をさすったりしながら、眺めて、「また来るね」と言って帰った。
そして、昨日私が学校に着いた瞬間、じいちゃんは天国に行ってしまった。おれ、1時間半待って乗った2両しかない始発電車でようやくここまで辿り着いんたんだぜ…?とショックよりも先に思ってしまった。
自宅で横たわったじいちゃんの顔を見ると肌は黄土色になっていた。顔がやけに小さい。口元からは前歯がはみ出している。
別にじいちゃんは出っ歯ではない。
多分入れ歯を入れないと何かしら都合が悪いのだとは思うのだろうけど、前歯のせいで人相が変わっている気がする。そして、ちょっと面白くなってしまっている。
マイナンバーカードに映る写真を見た方が、ああじいちゃんだな。と思った。
死んだからって思い出はなくなるわけではない。マイナンバーカードのじいちゃんも、もっと昔のじいちゃんも、私の頭の中で残ってるから。思い出は思い出の中で過去進行形だから。全部俺の中にあるから。なんかこれはどこかの受け売りな気がする。
横たわってるもんだから生きているようだと思う半分、抜け殻のようなものだ。じいちゃんはぜんぶ出し切ったのだ。
私は今日28歳になった。
27歳は最悪の年だった。仕事で散々な目にあって、自分も不甲斐なくて、しっかりバッチリメンタルをやらかして、無職になった。
じいちゃんはわたしの最悪を27歳のうちにまとめてくれたのかもしれない。都合よすぎ?
とはいうものの、世は葬儀ラッシュのようで葬式は来週になってしまった。最後まで分が悪い。寒いと寿命ってちぢまるんだよね。葬儀場でバイトしてたので、それは知っている。冷えるとまじで忙しかった。
下手すると両親よりも長い時間を一緒に過ごしていた。思い出ばっかり語ったけど、近年はあんまり胸を張れない態度もたくさんとった。だいぶ冷たい孫だった。
というわけで、暫く自宅で横たわるじいちゃんとゆったりお別れしていきたいと思います。
じいちゃんのあたまの上にシュクリムを置いて、なむなむしながら。
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