第三百六夜 『いつか君にもわかること』
1980年。
貯金の金利は今とは比べ物にならないほど高かった。
10年定期で11.91%の金利がつき、半年でも6.50%である。
その時代においては、個人年金保険も5%を超えていたのだというから驚きである。
我々の親世代の多くが貯金や保険を資産形成として進めてくることも頷ける。
しかし、バブルが弾け、リーマンショックを経験した日本において、その利率の保健や預貯金至上主義とも言える考え方はもはや化石のような価値観のようにも思える。
ここに我々世代と還暦を迎えた親世代の一つの価値観のギャップを感じる経験に、FPをやっているとよく出くわす。
先日、お客様のFさんからこんな連絡が届いた。
「来週のお会いする約束に関して、相談したいことがあり、本日、私の仕事終わりに電話できますでしょうか。」
「もちろんです。お仕事終わりは19時頃でしょうか。」
「はい。仕事終わりましたら、またご報告いたします。」
「承知しました。」
Fさんは20代の男性で、一度お会いして資産形成のゴールを仮設定し、次回お会いする際に、現在からできることをシミュレーションを通してお伝えする約束をしていた。
その約束の前に話したいと言うことで、早急な対応が求められるものかと思い、知らせを待つ。
「遅くなり申し訳ございません。5分後に架電いたします。」
「お待ちしております。」
きっちり5分後にスマートフォンに電話が入る。
簡単な挨拶を済ませ早速本題に入る。
内容としては、今回検討している投資商品の話をご両親に報告したところ猛反対を受けたと言うことであった。
どうやら投資への強い拒否反応を持っているようで、世間話くらいのつもりで話したところ、猛反対を受けどうしたものかと不安になり、先に電話でお半死がしたくなったと言うことであった。
Fさんは非常に申し訳なさそうに状況を説明し、相談してくれた。
Fさんの声色とは逆に、私は落ち着いたトーンでお話をした。
実はこう言ったケースは珍しくない。
資産形成のお話というものは、ご家族のご理解を得られないパターンというのは、少なくはないのである。
その要因は人それぞれであるが、親御さんの反対や、配偶者様からの反対というものが出るのは決して悪いことではないのである。
そう言った時私は、同じ内容をお伝えする。
「ご家族のご理解が得られないケースは実は少なくはありません。それはもちろんFさんを心配してのことだと思います。だからこそ、資産形成の内容はぜひ知っておいてください。」
これは知識をつけて、親御さんを説得しようだとかいう魂胆があるわけではない。
資産形成の知識をつけて、その方ができる範囲の資産形成を模索するための必要作業なのである。
仮にその投資商品が予算や借入金の問題で、家族等からの理解が得られずできないというなら、どんな商品なら理解を得ることが可能かを模索し、別ルートで資産形成のゴールを目指していくだけである。
「資産形成はあくまで自分の人生のためのものだと思っていますので、自分自身できちんと聞いて決めたいのです。もしかしたら、お時間を無駄にしてしまうかもしれないのですが、お話聞いてもよろしいでしょうか。」
「もちろんです。今回はまず資産形成の一つのパターンを知るつもりでいらしてください。それは今後、たとえ他の商品を選ぶにしても役に立つはずです。私はあくまでFPですので、それらの商品も踏まえて比較のお手伝いはさせていただきます。」
「そう言っていただけると心強いです。私ごとで相談のような電話を受けてくださりありがとうございます。ぜひ、週末のお話も聞かせてください。」
Fさんの声色がようやく前回お会いした時の将来を見据えてワクワクしてくれていた声色に戻っていることを確認して一安心した。
「お仕事終わりのお疲れの時間にお電話でのご相談ありがとうございます。こういったこともきちんと相談していただけると、FP冥利に尽きます。」
「ありがとうございます。ただ、実はまだ仕事は終わっていないんです。今から戻ります。」
「それは失礼いたしました。このあとも頑張ってください。」
時計を確認すると、それなりに良い時間であった。
貴重な時間を今後の資産形成を考えるために割いてくれたのである。
少し誇らしい気持ちと、満足いただけるサービスを提供できるプロであろうという姿勢を思い出し、少し背筋を伸ばす。
我々、FPがこう言った多忙の人々の時間を少しでも創出できているのであれば、それはとても価値のあることなのだろう。そこに資産形成を成功させるお手伝いをさせてもらうことは時間とお金どちらも節約できることになる。
そんな価値を提供し続けるために、日々研鑽が必要であり、そのサービスを提供できる人材を輩出することがアメリの一つのミッションでもある。
そして、古くなってしまった価値観をアップデートし、サービスを受ける人がそれらを伝えられるような資料を用意し説明できれば、化石のような価値観は自ずとなくなっていくのではないだろうか。
物語の続きはまた次の夜に… 良い夢を。