2024-04-15の日記(推しが今日もかわいい笑)
「推し活」というものに順応してきた。あれは個人と個人の間の関係性を指すものではなく、コミュニティ単位で行動するという姿勢のことであるようだ。
推しは個人と個人の間にある繋がりのことではないから、僕と推しの間には何もない。僕と繋がりうるのは、その人を推している人たちというコミュニティだけであり、推しはそのコミュニティと共に、それに向き合ってコミュニケーションを取る。このことが、率直に素晴らしいのだ。だから、具体的には、僕は推しに愛の告白をするのではなく、推しが今日もかわいい笑とTwitterで呟くのである。これは自分の好意を綺麗に飾りつけるということではなく、コミュニティを愛しているために裏切りの行為を牽制しあって、コミュニティの安全性を維持するための行為だ。
僕は推しのことを愛しているがために推すという行為は欺瞞だと思っていたが、そうではないらしかった。むしろ、皆が推しのことを実は愛しているために、コミュニティという一つの層を噛ませて直の接続を阻止しているのだろう。
こういうコミュニケーションを、以前の僕ならくだらないと言ってのけただろう。でも、最近は少し気持ちが変わってきた。ひとびとが、ひとりのひとを愛してコミュニティを創造することの素晴らしさが、なんとなく分かってきた。
まだ僕は性根が曲がっているから、推しが今日もかわいい笑とはツイートできない。でも、できたらそれはそれで幸せなんだろうな、とは思えるようになった。
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