2023-11-14の日記(順接を考えていないのに逆接を評価するのをやめろ)

 僕は音楽だとブレイク(曲の隙間にあえて無音を作ること)とか、フェイクドロップ(サビに行くと見せかけて元のリズムに戻ったり、別のリズムを提示すること)とかが好きです。これは、音楽なのに無音であったり、誰もがサビを予想していたのに意外な音が入ってきたりと、逆接が入り込んでいるからです。

 僕はこういう逆接を評価することに必死になるばかりに、逆接を探してばかりで、順接を順当に評価することが少ないのではないかと思い始めました。
 例えば、分かると思うのではなく、分かるけど、と思いがちです。分かった自分を否定してまで相手を否定しようとする意味が分かりません。
 あるいは、多くの人がそう感じるのだから、と疑うのではなく、パンピーはそうだけどね、と考えることがあります。自分が逆接に含まれることに優越感を感じるのではなく、自分が順当な感性を持っていない可能性に焦りを感じるべきです。

 ブレイクに感動を覚える前に、一つの音に集中しなければなりません。フェイクドロップに快感を覚える前に、ドロップの快感を忘れてはいけません。
 なぜなら逆接は、あくまで順接の自然さのもとに、それに反する形で成り立っているからです。自然さとは、素朴な感性でなければ受け入れられません。僕はひねくれてるからと諦めて、他人の順接や架空の順接に間借りして逆説を探しているようでは、本当は逆接が自分の中で成立していません。

 自分の中でただしく逆接を評価できる人は、まずただしい自然さを持った順接を考えられていると思います。僕の逆接には言語化された自然な対応する順接が存在しない。これは、何も言っていないに等しいです。

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