2024-08-22の日記(バランスが取れればどんな絶対的なものが見えるのかを教えてくれ)

 僕は自分のあらゆる要素が失われても、自分でいられる自信がある。僕の鼻が二つになって、腕が緑色になって、眼が見えなくなって、靴が新しくなって、禁煙に失敗しても、僕は僕のままでいられる。僕が僕にとって必要なのは、僕であるという感覚だけだ。それさえあれば、どんな変化も僕は受容する。
 しかし、僕はその寛容さを他人に向けることができない。その人に代わりはいないと思うことがとても大切であることはわかる。代わりがいない人と関係を結ぶことで、自分自身も社会的に代替できない存在となることもわかる。
 しかしながら、僕が人を好きになるきっかけはその人の要素を好きになることだ。そして、あの人のある性質が好きであると説明することは、その性質を持つならばその人でなくともよいと告白することに近しいと思う。
 だから、僕にはある飛躍が必要になる。ある要素を以て好きになったその人が、その要素を失うことがあっても好きでいられるという飛躍である。
 これがどういう理屈で発生するのか僕には分からない。他人を盲目的に肯定することがよくない効用ばかりもたらすことは、これまでの経験で感じていることだ。

 どうせこれも君はバランスの話だと言うんだろ。バランスの話はもう聞き飽きた。バランスをとることが大事だと言うなら、バランスが取れればどんな絶対的なものが見えるのかを教えてくれ。


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