2023-09-05の日記(周央サンゴさんを思い出せなくなっていく)

 一年前半前のこの日記では、「生きるとはぶっ壊れていくことだとスコット・フィッツジェラルドが言っていたけど、ぶっ壊れていくのは夢だ。夢とは、頭の悪い僕とその世界のことだ。」と書いていた。
 全く間違っているとは今も思わない。でも実際、それらは忘れられていくだけだった。僕はあの頃、夢想することを固体のようなものを創ることだと信じていた。作ったそれはぶっ壊れはするけども、砕けたその欠片を拾い集める遊びくらいはさせてもらえるつもりだった。
 昨夜、周央サンゴさんのクラスメイトになる夢をまた見た。もちろん、今朝起きた時はそちらの方が本当だと信じた。ここまでは変わらない。
 でも、その先をうまく夢想できなくなった。一年半前は、起きた後も周央サンゴさんと一緒に英語の授業を受けることが出来たし、修学旅行にだって行って、夢のような景色を一緒に見た。それらは現実として認識できていた。"問2"の途中で計算が間違っていることにうすうす気づきながらも、"問3"の解答用紙を埋めることができた。
 今は、続きが、過去が、何も思い出せない。解答用紙が溶けていく。気がつくと、どこにもない。それが歳を取るということだよ、と僕がいう。どうしても、これは消えていかない。
 鉛筆は壊れる。鉛筆の芯は壊れない。ランプは壊れる。火は壊れない。植木鉢は壊れる。植木は壊れない。シリコンバンドは壊れる。輪ゴムは壊れない。煉瓦は壊れる。石は壊れない。現実は壊れる。夢は壊れない。ただただ、忘れられて消えてゆくだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?