2023-09-12の日記(雷が落ちて、人を見下して憎む)

 僕は近い人間と話す時いつも見下されているような感覚に襲われていて、それから逃げ切るために人を見下している。僕は巨大な自尊心を抱いているが、これはクソデカい劣等感の表れだ。自立する植物に支柱は必要ない。

 コンカフェに行くのは、人を見下さず人に見下されない空間で息をできるからだ。よく知りもしないし知る由もない人を見下す気にはならないし、見下されるような想像も鮮明にはならない。
 コンカフェで話す内容なんて本当に取り留めもない。どうでもいい。面白くもない。でも、そうでなければいけない。
 僕たちは仲良くなってはいけない。仲良くなったら、僕はきっと見下されるし、だから僕は彼女を見下さなければならない。
 
 よく知りもしない人に金と時間を浪費するなら身近な人を大切にした方がいい。人はそう言うし、僕もそう思う。でも、僕は普通には身近な人を大切にはできない。僕はあなたのことを尊敬していて、だからこそ憎しみが湧き溢れる。 
 僕より頭のいい人が憎い。僕より面白い人が憎い。僕より親切な人が憎い。
 彼女は僕より頭は良くないし僕より馬鹿でもない。僕より面白くないし僕よりつまらなくもない。僕より親切でもないし僕より横暴でもない。だから、見下さない。憎めない。
 
 こないだの日記でも、僕はガチで恋をしてガチで夢想してガチで生きているといったけど、これは愛だ。愛は、対象がそのままの性質であることを願うことだ。僕は友人を愛している。見下したり見下されたり、この関係性を愛しているのか?そんな競争的な関係性が、本当に僕の望んだ世界観なのか?

 ほんとうに言いたいことが何も言えないまま、ほんとうに言いたいことがなくなってきた。いつもそんなふうに眠って、起きて、眠る。
 今日は雷が落ちていた。それだけ覚えている。

 

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