2023-05-23の日記(かつて天才ではなくとも、今何者かになれたお前が憎い)
5ヶ月ぐらい日記を書いてなかった。書いてない理由は書く理由がなかったからなのでこの期間について話すことは別に無いし、今日記を書いてるのも書く理由が生まれたからではないので今について話すことは別に無い。何も選択をしないという状態が続いていて、しかし何も行動をしないというのは苦痛だから、偶然に日記を書いているだけだ。連れ添いで入った服屋で気になってもないのに生地を確かめてみたり、ボーッと歩いていたらちょっと強面の兄ちゃんと肩がぶつかったり、そういう漂流物みたいな感じ。
「散歩しなさい」より優しいアドバイスはないと思う。最近親とかに言われてる。
これがもし変化したら、それが「生きてるだけでいい」だったとしても「何とかして働け」だったとしても、そうなった頃にはもう遅いんだろうなあと思いながら、何回も見た動画をYouTubeで流してる。
こないだインターネットの友人とご飯を食べに行った(そこにいた人も上と同じようなアドバイスをくれていた気がする)。その飲み会で奇妙なことに俺の文章を褒めて貰えたから、その時は俺もげへげへ言っていたけど、さっき前の日記を少し読んだら全然面白くなかった。これがどういう変化なのかは分からない。そこを分かろうとしなくなったことも変化の一部だと思う。
前の日記はつまらなかったし、久しぶりに日記書くから文章のキャラクターが変わっててもいいし、なんかちょっと荒っぽくて柔らかい感じで書きたかった。俺は誰に向けてるのかよく分からないインターネット表現物を作る時に砕けた口調を使う人が前々から好きだし、最近webkusoをよく聞いてるから。でもやっぱり、ちょっと難しかった。
俺は何者でもないんだから、何者でもないなりの生き方を見つけなきゃいけない。でも、そしたらこの何者かになれたやつへの憎しみとか嫉妬とかが無駄になってしまう気がする。俺は何者でもなくて、何者かになれたお前を本当に憎んでいる。
これは大事にすべきことなのかどうか。
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