2023-09-07の日記2(膿んだ感情で咲く花)

 いいたいことが何もないが、これが満たされているということなのか。だとしたら満たされていることに何の意味があるだろう。
 頭の中には何もないまま、頬杖をつく。耳が触られる。目が舐められる。息が、為される。これが幸福だというつもりか。
 人々を見下す。事柄を見過ごす。無思想を貫く。それが強者だとでもいうつもりか。


 
 僕にも感情が生まれる場所がある。でも、そこには膿が溜まっていて、僕はそれを塞ぐことに慣れてしまった。だから、何も思わないまま頬杖をついてる。何かいいたい、何かきいてもらいたいという思いだけがある。
 


 ひとまず膿を出し切ってしまうことが必要だ。でも、どこに?泣き叫んでも膿は出ない。ひとりじゃあ、出せない。じゃあ、誰に?膿んだ感情は、誰にとっても醜い。その醜ささえ受け入れてくれる人がいる?少なくとも今は、いない。
 
 墓の中で、出せなかった感情が虫に食われ、木々に吸われ、花になったらどんなにいいことだろう。ヘッドホンの音量を最大にしてみる。耳の痛みは、音量を下げろとは言わない。

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