【日記】小さな彼氏という言葉を知ってー息子の立場に立ったひとりごとー
SNSに疎い私は、今日偶然その言葉を知りました。疎すぎですね。
子育てに勤しむ主婦が、自分の息子の言動にキュンと来た一幕や、息子とのお出かけを公然とデートと表現した投稿に付随するハッシュタグのようなものらしいです。
大抵のことは「まぁそういう文化圏もあるだろう」と無関心を貫く自分ですが、この言葉を見てふと母を思い出したのでした。
私の両親は晩婚で見合い。今でいう古い価値観の家で、家中の問題の苦労はひたすら母にシワ寄せが行っていました。両親に恋愛的な感情はなかったでしょう。
母が苦労していると思い始めたのは、恥ずかしながらずいぶん遅く中学時代でした。それから自分のことくらいは心労をかけさせないように母の提案には特に理由がないときには「Yes」で応えるようにしました。母曰く、反抗期は中学時代に一瞬あっただけとのことです。一瞬で終わったのはこういったカラクリがありました。
一つ屋根の下で暮らした相手なら感情の起伏くらいは言外に分かるようになります。顔色を窺い、機嫌を取る事を覚える訳です。これが会って数か月程度の彼女に察しろと言われても難しいのですが、さすがにプライベートな面を十数年も見ていればこれくらいはできる訳です。
ここで本題に戻ります。
小さな彼氏ですが、息子の小さな彼氏的な仕草は本当に無意識で実行されているのでしょうか。
息子にそうした仕草をされたとき、母は普段と露骨に機嫌が変わったりしないでしょうか。
息子は母の顔色を窺い、機嫌を取っていないでしょうか。
足りない愛情を母親から愛情を引き出すために、息子があの手この手を打っていないのでしょうか。
昨今の恋愛では、デートとは高度なギブ&テイクを要するコミュニケーションと考えられるでしょう。息子が母の愛を得るためにギブするのは、よい情操教育と言えるのでしょうか。
……などとまぁ、ウイスキーを揺らしながら、全国の小さな彼氏たちに少しばかり思いを馳せるなどしていました。もちろん上に挙げたのは完全な憶測です。親の愛情をちゃんと浴びれてるといいですね。
ただ自分は小さな彼氏という表現を聞いた時に、思春期に感じていた違和感や、世間一般の中高生と親の関係との齟齬。心の隅にあった小さな抑圧みたいなものをふと思い出したのです。
ちょっと湿っぽいお話を書いてしまいましたが、日記ですからまぁたまにはいいでしょう。たまには。社会問題アカウントになるつもりはありません。
では、今日はこの辺で。