晴る

柔らかいオリーブの薫りが鼻孔をくすぐる。

『父さんへ

今朝は昨日隣のおばさんから貰った木いちごのジャムを配給のパンに塗って食べたんだよ

とってもあまくて、いつもはゴワゴワのパンなんだけど今日はなんかふわふわしてるみたいだった!

それとね!
昨日配給所で友だちができたんだ!
イサクっていうんだけどさ、めっちゃ良い奴なんだ! 
.…

まあ俺は変わらず元気にしてるから、心配しないで!
号外で見たけど戦線は有利になってるみたいじゃん!
それと、もし帰ってくる時はあの城壁に向かって手ふってよ!忘れないでよ!

どんどん寒くなってきてるから、父さんも体壊さないようにね。』

最近はこんな他愛のない会話が8割を占めるようになった。
軍部の検閲が厳しくなって、戦地にいる父さんたちが不安になる情報は慎まなくちゃいけないらしい。
もっとも、そんな事を書いたとしても真っ黒に塗りつぶされた手紙が送られるだけなんだけど。
本当はもっと甘えたい。父さんのあの春のように暖かい胸に今すぐ飛び込みたい。一緒にあのころみたいな楽しい生活を送りたい。

それでも月に一度だけ、父と通じ合えるこの時間は胸が飛び出でるように嬉しい。
だから今日も手紙を書く。
不慣れな字で書き連ねる。
話題が尽きても書く。
父さんが希望を捨てないように。

『郵便屋さん待って、!!!』

『おお、アヴィヴじゃないか。
どうした?そんなに急いで。』

『この手紙も一緒に持ってって!
ちょっとまとめるのに時間かかっちゃってさ。 広場のポストに入れるの遅れちゃったんだ。』

『なんだ。
俺もちょうど今からお前の家に回ろうとしてたとこなんだ。お前の手紙、いつも一番底にあるからさ。大事な手紙なんだろ。』

『うん。
父さんにこれで元気になって欲しくてさ。』

『うっ、、、...…。

大丈夫だアヴィヴ。
お前の父さんは絶対帰ってくる。
なんせ俺は、お前の父さんの一番の親友だからな!
なんでも分かるんだ。』

『ほんと?』

『ほんとさ!!
心配するな。
心配すれば心配するだけ事は悪い方に向いていく。
いつだったか、お前の父さんにもこんなこと言ったな。。。』

父さんが右肩に銃弾を受けたという報せが届いたのが2ヶ月前。
風のうわさで聞いたところによると、状況は依然悪いまま膠着しているらしい。

『まあ、寂しくなったらうちに飯でも食いに来い!
ろくなもん出してあげられんがな。うちのカミさんが作るスープは最高なんだぜ。』

『うん!ありがとう。』

『まったく…
こんなあどけない子供から親を取り上げるなんて、この国はつくづくドブのように腐ってやがる。。。

おっと、どこで秘密警察の連中が張ってやがるか分からんからな。仕事仕事と。』

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

あの城壁に登って夕陽を眺めるのが好きだ。

まだ母さんが生きていて、この街に引越してきたくらいの時建てられたらしい。

街の人々は海が見えなくなるからと随分反対運動をしたらしいけど、俺にとっては特等席みたいなもので心地が良い。

『またそんな所でうつつ抜かしてんのかー』
 
『イサクじゃないか!
お前も上がれよ。気持ちいいぞ。』

『しょうがねえな』

『な、綺麗だろ?』

『たしかに。
だけど配給所の姉ちゃんの方が綺麗だ。』 

『なに臭いこと言ってんだよ。』

くだらないことをイサクと喋り笑う。
娯楽の少ない今では一番の娯楽だ。 

『なあ、お前の父さん元気にしてんの?』

『…分かんねえよ。』

しばしの沈黙が視界を暗くする。

なぜだか涙が頬を伝う。

呼吸が荒くなる。

『俺もうどうしたらいいのか分かんねえよ。。。』
  
泣き声に似たか細い息が零れる。

『なあ、知ってるか?』 

『なんだよ』

『俺の親父に昔聞かされた話なんだけど、
雲の上ってずっと晴れてるらしいよ。
 
昔どっかのお偉いさんが、この空の向こうにも世界が広がっていることを発見した。
宇宙だよ。
今見えている空は、その後ろに控えてる宇宙の何百億分の一さ。
雲は開演前の緞帳にすぎない。だからこの爆煙で濁った空が開けた先には明るくて朗らかな世界が待っている。
俺はいつかこの雲を抜けて、ずっと晴れた天空の世界で一生を過ごしたい。
だってこんなしみったれた世界じゃ、心まで怠くなってしようがねえからな。

だとよ。

なんとも嘘臭い話だけど、いつもおちゃらけてる親父が目をびいどろみたいにキラキラさせて語るから、なんだか俺も惹き込まれちゃってさ。

俺はいつか宇宙に飛び出してみたい。
そう思ってる。』

『だから、絶対お前の父さんは戻ってくるし、今よりも楽しい生活が待ってる。
ごめんな、変な事聞いて。
ほら泣くなよ。』

『泣いてねえよ。』

いつの間にか、雨でもないのに視界は滲んでいた。  
 
それから暫くしてだった。
手紙が返送されて来るようになった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

手紙が宛先不明で返送されてくるようになってから随分経った。
村役場に何度も駆け寄ってみたけど、これといった情報は掴めなかった。 

『父さん、、、何してんだよ。。』 

何度返送されても、俺は手紙を書くことを辞めなかった。
何かの手違いだ。
きっといつか父さんの元に届く。
そう信じて。

晴れの日も。

通り雨の日も。

春も。

夏も。

秋も。

冬も。

そのまた後の春の日も。 


荒屋のドアが壊れそうなくらい叩かれて飛び起きた。
恐る恐るドアを開けると、軍服を着た大人が2人無表情で立っていた。

そして小さな木箱と書面を取り出して俺に寄越した。

木箱を振るとなにかが凾れてあるようだった。

『君のお父さんは、我が国のために尽くしてくれた。
本作戦への参戦を感謝する。
そして、心からのご冥福をお祈りする。』

深くてどす黒い泥濘に堕ちたようだった。 

その夜、幼少の頃の夢を見た。

初めて見た、広くて華やかな海岸沿いの街並み。
その後ろに広がる長閑な春の丘。
丘に建つ真新しい礼拝堂。
馬小屋の影で気持ちよく寝ている猫。
春の匂いに誘われて地上に顔を出した花々や草木。 
道の真ん中で平然と日光浴しているへび(これは少し怖かった。)
もぐら穴、ミミズ。野犬の遠吠え。 
凛とした牡鹿。
雪解け水を湛える小川。水車小屋。 
青々とした小麦畑。
そこで働く人々の煌めく笑顔。
ひつじ雲。
時折地平をかき乱す春時雨。
髪を梳くくすぐったいそよ風。 
 
そして、何よりも輝いて見えた父さんと母さんの肖像。

朧げだったあの頃の情景が活動写真のように克明に浮かぶ。

春の匂いがする。



気がつくと酷くお腹がすいていた。
ぼうとした頭でミルクとパンとジャムを机に運ぶ。機械みたいに。

ジャムをたっぷり塗ったのにパンが硬い。

そこからは記憶があまりない。

心に穴が空いたようにただ庭先のベンチに座って過ごした。

号外が届いた。
隣国を打ち負かしたらしい。
そんな報せを聞いてもなにも感じない。

何日すぎたのか分からない。
もう夏の気配がするのに手足の震えが止まらない。
果たして、自分はちゃんと呼吸できているのだろうか。

ある日、郵便屋のおじさんが家を訪ねてきた。

『おーーーい!
アヴィヴ!!!
こんなに痩せて.…
飯はちゃんと食っているのか?

お前の父さんのことは…

残念で仕方がないよ。。

だけどな、お前が安心して暮らせる世界を作るためにお前の父さんは命を費やしてまで戦ったのに、お前が死んでどうするんだ?
とりあえずうちに来い。
美味しいスープを飲もう。
な?』

『うん。。
ありがとうおじさん。』

それから暫くはおじさんの家に泊まって生活した。
少しずつ心も穏やかになって、次の春にはひとりで暮らせるくらいに回復した。
ただ、心の穴は依然空いたままだ。

軍人から貰った箱の中身は、父さんが愛用していたハンチング帽だった。
側面には弾痕が痛々しく残っている。

晴れた春の日、城壁が建つ丘に帽子を埋めに行った。
父さんのことをいい加減忘れるために。

埋め終わった後、背中を刺すような冷たさを感じた。

雨だった。

空も父さんのことを悼んでくれているのだろうか。

なぜだか悲しい。
なぜだか苦しい。

報せを聞いた時は一滴も出なかった涙が、今になってどうしようもなく溢れてくる。 
天気って意外と白状なんだろうか。
そんなことが頭をよぎる。

『約束忘れないでってあれほど言ったじゃないか。。。父さんっ!!!』

土を打つ音が次第に大きくなる。
もうどうしようもなかった。
城壁に駆け寄って崩れ泣いた。
ただひたすらに泣いた。

街を壊すような酷い嵐だった。
ただ、なぜか心は軽くなった。

うまく説明出来ないけど、水溜まりに父さんの顔が映ったような気がしたから。
俺を撫でてくれていたような気がしたから。 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

いつもの城壁でルビイのように燃える斜陽を眺めている。

『よう。』

イサクの声がした。
いつも通りよじ登って来てくだらない話をする。

『生活は落ち着いたか?』

『まあね。
俺って結構ひとりで暮らす才能あるんだぞ。』 

躍起になって語る。

『そんなに元気なら大丈夫そうだな。』

イサクが微笑む。

『でも、やっぱり時々寂しくなるんだ。
父さんはもうあっちの世界に行って、俺なんか気にしないで眠っているんだと思うと。』

『アヴァヴ、
お前が最初に俺をここに連れてきてくれた時、親父から聞かされた話しただろ?』 

『うん。』 

『実は俺、親父に聞かされた話でもうひとつ好きな話があってな。

極東の異教徒の考え方なんだけど、「生まれ変わり」って知ってるか?』

『いいや。』

『例えば、そこに咲いている花。
あれは何を伝って生えていると思う?』

『そりゃ土だろ。』

『そうだ。だけど、土だけでは花は生きられない。養分が必要なんだ。
養分というのは、たとえば動物の死骸だ。
動物は死んだ後何者にもならないと教えられているけど、その肉体は骨まで分解されてこの大地に還って養分となる。動物が植物の源であると言うんだ。』 
『これを人間に置き換えてみると、人間の養分は野菜や果物、肉や穀物などだ。
つまりは植物が動物の源であると言える。』

『矛盾していないか?』

『いいや、そうじゃない。
この世界は"循環"で出来ているんだ。
動物や植物が死ぬと分解されて養分になる。その養分で植物が生える。それを食べて動物が生きながらえる。そして動物の尿や血は土に濾過されて水となる。水が太陽によって蒸発して雲となる。それが雨となって降り注ぎ植物や動物を生かす。それを生まれ変わりと呼んでいるんだ。』

『つまりはお前の父さんも何者かに"生まれ変わって"お前の生きるこの世界を創っているってことだ。
 どうだ?いい考え方だと思わないか?
だから余計に寂しがることはない。
お前はお前の父さんによって庇護されている。』

イサクの話は難しかったが、聞いているうちに心の内の靄が晴れていくように感じた。
 
『生まれ変わり、か。』

沈みゆく陽は優しく俺たちを包んでいた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日もあの丘に行く。
父さんに言葉を届けるために。
今日のために書きためた手紙は、俺の小さな両腕から零れ落ちそうだった。

『来たよ、父さん。』

心做しかオリーブの木が揺らめく。  
手紙を帽子の上に置いた。

遠くの空は雲が切れていて晴れ間が見える。

柔らかいオリーブの薫りが鼻孔をくすぐる。


『晴る』
原案/n-buna
著/雨霽る










 

























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