長ネギが入らない冷蔵庫になんの意味があるんだ
冷蔵庫が小さい。小さすぎて怒りすら湧く。この怒りの正当性はどこか、責任の所在はどこか。国民にある。世の中の全て、些事であろうがなんだろうが、責任の所在はすべて国民にあるらしい。そういう国になってしまってはいないか。そういう国にしてしまったんだ僕たちは。大局的に見るのも大概にしろよ。どけんかせんといかん。そのために、まずどげんかせんといかんのは冷蔵庫の小ささである。どのくらい小さいかというと、具体的には長ネギが入らない。いや、厳密に言えば長ネギは入るのだが、へし折らなければ収納されない。なんだよ、へし折るという工程は。不自然だろ。なんで食材を冷やし保存する機械に入れるのに、へし折るとかいう空手家しか使わない動詞が介在するんだ。長ネギからしたら、へし折られるだぞ。不憫だろ。そんな受動態あったらダメだろ。長ネギが入らないサイズの冷蔵庫になんの価値があるんだ。縦にしても横にしても、あろうことか斜めにしてみても入りゃあしない。斜めにしたって入らないことなんかわかっているのに斜めにした。知恵の輪じゃねえんだぞ長ネギは。どうしようもないから、結局のところへし折る以外の選択肢がなく、哀れな長ネギはへし折られ、冷たい棺桶に収監される。新しい冷蔵庫を買うにしても古い冷蔵庫はどうやら粗大ゴミに該当しないらしく、捨て場所がない。これが粗大ゴミじゃなくて何が粗大ゴミに当たるねん。使うには小さく、捨てるにはデカい。嫌になるだろ。結ぶより解く方が容易くて、解くより結ぶ方がずっと難しいんだよ。BLEACHか。なんで冷蔵庫の行く末でBLEACH吉良イヅルの名言を感じ入る羽目になるんだ。ということで、阿散井恋次さん、朽木ルキアさんの結婚のお祝いの挨拶とさせていただきます。