キティちゃんと同じ誕生日なのが嫌だった
小学生の頃、自分の誕生日が誰と一緒かという話題になった。
わたしは自分がキティちゃんと同じ誕生日ということを知っていたけれど、その場で言えなかった。
女の子が好きなキャラクター代表みたいで、なんだか恥ずかしかったからだ。
幼い頃のわたしは、髪も長くてスカートも履いて、いわゆる普通の女の子だった。
変化があったのは、小学1年生のとき。
長かった髪を短く切り、制服以外にはスカートを履かなくなり、男の子になりたいという気持ちがほんのり芽生えた。
「人は好き、だけど、彼氏が欲しいとは思わない。
女の子は好き、だけど付き合いたいわけではない。
将来、結婚も出産もしたくはないし、一人で生きていくんだろうな。」
高校生くらいから、ずっとこんな感じだった。
いつだったか、そのことを母に話したことがあった。
「わたしは将来結婚もしないし子供も産まないつもりだから、名前を残すことはできないと思う、ごめん」(結婚をしたら名字は変わるので、どちらにしても名前を残すことはできないのだが…)
すると母からは、「うん、なんとなくわかってた。でも、女の子のことが好きなんやと思ってたなぁ~」と、返ってきた。
そのときは「そっか」とだけ返して話は終わったが、今考えるとなんて薄情な娘なのだと思う。
だからせめてその分、違うことで恩返しができたらいいなと考えるようになった。
数年後、初めて彼氏ができた。
2年半くらいでお別れをすることになったが、これはこれで良い経験になったと思っている。
ただ、同時期に仕事も辞めたので、しばらく心が病んだ。
その後、新しい職場で出会ったとある人のおかげでようやく復活。
その人は、器が女性で男性になりたいという人だった。
1年半くらいで退職されたので、それ以降ほぼ連絡も取れなくなってしまったが…。
会えなくなってしまってからも、わたしのなかには尊敬と同時に恋心のようなものが存在していた。
だからといって付き合いたいというふうには思わなかったけれど。(当時その人には彼女がいた)
ただ、その感情に気づいたとき、普通に恋愛をすることはできないけれど、人を好きになることはできるのだということを学んだ。
自分が“Aセクシャル”というグループに属すると知ったのは、ここ1年くらい。
(2021/3/21現在ではAロマンティックに部類する)
その言葉に初めて触れた瞬間、それまでぼんやりしていた景色が、静かに晴れていった。
なんだかほっとして、笑ってしまった。
ずっと自分しかいないと思っていたから。
同じような人がいるということだけで、気持ちが強くなった。
ひとりぼっちの世界に、あたたかな手がすっと伸びてきたみたい。
うれしくて、そのことを人に話した。
でも、知らない言葉、知らない世界への拒否反応の方が多かった。
説明してもなかなか理解してもらえなくて、「アラサーなんだから、ちゃんと将来考えなよ」と心配され、最後は笑ってごまかした。
いつかはパートナーがほしいと思う気持ちはある。
だけど、そういうことじゃない。
「まだ運命の人に出会えていないから」とかでもない。
ただ、わたしがそういう人なのだということを知ってもらいたかっただけだった。
今日でわたしは29歳。
いわゆる普通の女の子にはなれなかったけれど、この自分だから出会えた人たちがいるし、知らなかった自分にも出会えた。
「キティちゃんと同じ誕生日なんだ」と、今なら堂々と言うことができる。
ずっと嫌ってて、ごめんね。
お誕生日おめでとう、キティちゃん。