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『クリスマス・ベル / 柳原幼一郎 (陽一郎)』〜1995/11/8発売シングルCD

マガジン(柳原陽一郎 関連の動画)↓の方に書こうと思ったのですが
youtubeにも、他の音楽サブスクにもアップされていない曲なので、ここに書く事にしました。
(上のニコニコ動画には、カップリングの『わたしは音楽家』も歌詞付でアップされています)

歌詞を聴いて頂くと分かるのですが、
“世界一暗い クリスマス·ソング”です。
本人もインタビューやライブMCで公言してます。
いや、これはクリスマス·ソングなのかな…
クリスマスのフレーズは沢山散りばめていますが、主人公はクリスマス·イブに空の上へと旅立って逝きます。

[ "クリスマス・ベル"裏ジャケット ]

↑柳原さんは、帽子を含めた真っ黒なサンタの衣装で裏ジャケットに写っています。

[ "クリスマス・ベル"表ジャケット ]

このシングルの前に、ソロ名義(柳原幼一郎)で シングルCD『みんな おぼえてる / ブルー·アイズ』を 1995/1/25に、アルバムCD『ドライブスルー·アメリカ』(カバー9曲+オリジナル3曲)を 1995/2/22に、発売しています。

[ yananet より]

“たま”を正式に辞めたのは、この年1995年の年末ライブ。
なので、柳原幼一郎 名義での最後のソロ シングルCDとなります。

まだ“たま”在席中の 1995/11/8 に発売されたこの曲、歌詞の内容を含めて、ファンの間では物議を醸しました。
柳原さんが“たま”を脱退する事は、この年の夏頃から公表されていましたが、理由は明らかにされず。

メンバー間の人間関係や音楽に対する考えのこじれや、アルバム制作時に自分の気に入っていた録音が消されていた からとか、奥さんにソロ活動を勧められたから、とか…確信の無い憶測が、沢山噂されていました。
ファンクラブの会報にも、脱退の理由は明記されていなかったと思います。

この後、1996年から本名の柳原陽一郎としてソロになりましたが、“たま”時代の曲は 暫くライブでは歌わなかったと思います。
新しく作る曲は、何故か暗い歌詞が多く、
本人=歌詞の主人公で無いのは判っていながら、「大丈夫なのかな…」と勝手に心配していましたが、
ライブで見る 柳原陽一郎さんは、“たま”に居た頃より自然体の様に見えました。
でも、後で出したアンソロジー本を読むと、かなり試行錯誤の日々だったようです。
1999年は、アルバム発売ツアーの後、年末まで全くライブがありませんでした。

リクエスト·ライブで、リクエストに挙がった時だけ、溜息をつきながら 嫌嫌歌っていたこの曲でしたが、
多分2015年頃から、年末のクリスマス時期のライブで毎年歌う様になりました。

「レコード会社(東芝EMI)の人に 歌詞をけなされ、せめて明るい子供のコーラスを入れろ、と言われて、渋々入れたが ホント嫌だった」
「表ジャケットのイラストを黒鉄ヒロシさんに描いて貰ったのが、唯一の誇り」
「最近は、この暗い歌詞が自分らしくて良いのでは と好きになってきた」
等、MCしながら歌っています。

[ 2021年発売 ピアノ弾き語りアルバム “GOOD DAIS” ]

私も 今では なんとなく
「やなちゃんらしくて良いのでは」
と思っている曲です。
空の上から 下界を見下ろしながら、主人公が雪を降らせている光景か浮かびます…

「 春を待ちきれず 一人空の上
  イブに歌う 僕の耳に  クリスマス・ベル 」

(2022/12/24追記)
今年の年末頃のライブでは(12/18(日)横浜、12/22(木)金沢,12/23(金)京都)
歌われなかった様です。
柳原さんのブログでは
「横浜では季節物の曲をやろうか迷っている。」
と書かれていましたが、結局外した様です。

何か 心境の変化があったのかもしれません…

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