映画『どうすればよかったか?』@川崎市アートセンター·アルテリオシネマ
昨年の12月に 『大きな家』を見に行った時に
予告編を観て 気になっていた映画です。
監督と編集者のアフタートークの日は
直ぐに満席になってしまったので
翌日の祭日の月曜日を予約しましたが
前日には満席になりました。
++++++++++
【以下 内容に関しての詳細の記述があります】
+++++++++++
オープニングでは この文面が横書きで表示され
真っ暗な画面と共に
姉と思われる女性の 大きな叫び声と意味不明の言葉と
それをなだめる父と思われる声と
「この家から分裂病が出るなんて…」
と呟く女性の声が流れ
満席の映画館内は
緊迫した空気となりました。
監督が日本映画学校を卒業した後の
2001年から 家族の行事の記録を残す
という名目で撮影が始まりました。
1983年に 24歳の姉が統合失調症
(旧:精神分裂病)を発症したと思われる頃より
既に18年が経っていました。
医師で研究者であった両親は
姉が発症したと思われる日に
精神科へ連れて行った後
「全く問題が無い」
と医師が言ったと説明しました。
姉の症状は悪化しているにも関わらず
その後 病院へは全く行かせず
「統合失調症では無い
正常なのだが 両親に復讐するために
そのように振るまっているだけだ」
と両親は 監督に説明しました。
両親は お互い相手(夫/妻)の為に
姉を病院へ連れて行かない と主張しますが
私には 相手に責任転嫁している様に見えました。
姉が徘徊しない様に 玄関には南京錠がかけられ
母も外出しなくなります。
その後 母は認知症になり
「悪い男が 家に毎日2回侵入して
姉に麻薬を打っている」と妄想し
姉の部屋の見張りをする様になります。
監督が相談した精神科医のアドバイス通り
二人の世話に疲れたと思われる父が
ようやく姉を受診させる事に同意し
2008年5月から3ヶ月間、姉は精神科に入院します。
その後 母は急死します
父と 少し回復した姉の生活が始まり
外出したり 花火を眺めたり 家事をする姉
ほっとしたのも束の間
姉に肺ガンが見つかります
監督は 姉の死亡した瞬間の映像は
画面にボカシを入れますが
棺の中の姉は 隠さずに はっきりと映していました。
私は 一瞬戸惑いましたが
その姿を 最期まできちんと見なくては
と 目を閉じませんでした。
とても 穏やかな表情でした。
葬式で「娘の人生は ある意味充実していた」と
父は マイクの前で 言います。
「責任を追及するのではなく 事実を確認する」為の最後のインタビューで
父は 姉を精神科医に受診をさせなかった理由を
「母が 統合失調症に対する差別意識から隠そうと判断したのであり、その考えに従った」
と まだ母に責任転嫁をしていました。
姉への対応は「失敗では無かった」とも。
監督は パンフレットで
「我が家は統合失調症の対応の仕方としては
失敗例 でした」と潔く述べています。
普通に考えれば
両親に責任があるのは当然ですが
監督は 自分に対しても 今も自問しています。
「どうすればよかったか?」
犯人探しでは無く
同じ様な悲劇を 起こさない様に
監督は 勇気を振り絞って
この映画を公開したのだと思います。
家族に障害者がいる私には
両親の気持ちも 弟である監督の気持ちも
とても よく判りました。
どうすることも できなかった
それが事実です。
過去は 変えられない
でも 未来は変えられる
私は そう信じています…