生きたくない。
私は生きることに対しての気力が薄い。
生命力とかそう言うのがかなり薄い。
元からそう言う気質なのか、それとも後付けでそうなってしまったのか、それはわからないけど、気づいたら、生きる事も死ぬ事もどちらでもいいと言う境地で過ごしていた。
昨日の晩、私は大切な彼氏に、「生きたくない。」と言った。
彼が「死にたいの?」と聞いてくれたので、私は「うん。」と答えた。
ーちなみに彼氏は、私にうつ症状がある事や、気分の波で仕事ができなくなったことなど、病気の事に関してはざっくりと知ってる。それを伝えた上でお付き合い始めたから…。
死にたい気持ちいっぱいの私に彼氏は…
『あめちゃんが死んだら、俺はどうなるの?』
『俺の事何も考えずに死ぬの?』
と言った。
確かにそう言う事になのだけど、私は人の為に生きるとか考えたくはなかった。元々は。
私にとって大切な人を生きる理由にしてしまったら、もし、その人を失ったら私は完全に生きていけなくなると考えていたからだ。
だから、俺の事何も考えずに?と言われたけど、私は考えてはないわけではなく、むしろ考えてたから、この手の話は今の今まで閉まっていたところはあった。
この話を何も言わずにお別れになったら、私は死ぬのも生きるのも誰にも迷惑かけたりしないと思ったから。
(親には申し訳ないけど…この話は今回とはまた別になるから、親に対しての思いは追々話していきます。)
それに、今回のように彼氏がそんな言葉を言ってくれるとは思ってなかったから、私は少し思い留まれた。
ちなみに今までお付き合いあった人達は、一緒に死にたい派、もしくは、この手の話を問題視しない人(無関心または、面倒と言って逃げたりする)が多かったから、彼のように真正面に気持ちを言ってくれた人はいなかった。
私の死にたいは本当は生きたいなのでは?と彼氏は推測してきたが、それは微妙なところで…
ただ今の彼氏と過ごすようになってからは、生きたいも死にたいもハーフ&ハーフのような感じにはなってる。
前は死にたいが大きかったけど、どちらでもないわけだから、とりあえず生きたいが薄くても死ぬ事も考えてないので、マシなのかもしれない。
そして、色々と私の話をじっくり聞いたあと、彼氏が言ったのは…
『あめちゃんの死にたい感情が無くなるように頑張る』
『生きたい!と思わせてあげる!』
と。
こんな前向きな答えは聞いたことない。
一見私のように病んでる人からしたら綺麗事にも聞こえるけど、この言葉を真正面から言う人というのはそうそう居ない…。
私は何故か涙が出てきた。
まるでこの言葉を待っていたかのようで、何年間も孤独だったこの気持ちが少し和らいだ気がした。
…誰のための命?何のために生きる?となると、今は自分の為とは言えないから、大切な人のためと言っておきたい。
彼氏は彼氏のために私が生きる事を肯定した。
そんな生き方もあるみたい。。
そして、彼氏は少し変わってる人なのだけど、だからこそ、こんな私にはそれがちょうどいいのかもしれない。
今回はただ彼氏のことを褒めるわけではなく、私の生き方にもかなりの重要な事を言ってくれたので、この日記という場に残しておこうと思った。
長々な投稿だけど、今回はここまでに…。