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エッセイ 平和の塔


すごく怖くて恐ろしくて
想像でも過去でもないことが

平和をいのる
平和をつくる


今月に入って、手のむくみ、体の重さ、傾眠傾向、意欲低下、食欲低下で、予定がある時以外は家にいてたくて、体が求めるままに過ごしていた。

半月が経ち、これはやっぱりおかしいと思い内科を受診。血液検査の結果を見ても相変わらずの貧血があるだけで、とくに目立った原因は見当たらず。「休めということかもしれないよ。」とお医者さん。

少しでも環境に負担の無いようギリギリまでエアコンを付けないつもりだったけれど、暑さでバテている可能性も考えエアコンのスイッチを入れた。

エアコンのお陰か体の気まぐれなのか、内科受診した次の日からコロッと調子が変わり、朝早く目覚め、意欲も少し回復し、お腹も減るように。

昨年から、まるで気儘な体とこんな風に付き合っている。体が本調子じゃない時は抵抗しても無駄だということに気づき始めた。

そしてようやく外に出る気になったので、先日滑り込みで紫陽花を観に般若寺へ。もうピークは過ぎていたけれど、今年も紫陽花が観れて良かったと安堵した。色の変わりかけた紫陽花もまた違った風合いで、それを楽しむ心もひとつ、"あじわい"が深くなった気がした。

般若寺にある「平和の塔」。
平和への願いで繋がれてきた灯が平和への願いで灯し続けられている。
平和とは、吹けば消えてしまう危ういものであるけれど、私たちが願い手をかざし続けることで、灯し続けられる生命の源だ。

平和の塔の前で、少し立ち止まっていた。

私の体が気儘にいられることも、気儘な体に抵抗せずにいられることも、紫陽花が咲いていることも、紫陽花を今年も観られたことも、フッと揺らぐ灯を前に、その危うさと尊さを知る。


来年また綺麗に咲くようにと、紫陽花を手入れする仕事があるように、花の種を植えることで、花を育てることで、その花を楽しむことで、循環する世界になってほしい。

風の時代にその灯を絶やさぬよう、皆で手をかざそう。