おとな達の考える「若者」って何??
こんにちは、あめです。
ここ最近、プロジェクトの関係で企業の人たちと関わることが多く、気になったことがあるので書き留めてみます。
気になっているのは、よく言われる「若者」の意見がほしい、とか「若者」の視点からといった言葉です。
※ここで書いた「大人」は私が話したことのある一部の人たちのことです。
私たちは成人していても「若者」として扱われることが多く完全な「大人」としては扱ってもらえない。
そんなにキラキラしてないし、私たちなりの悩みもあるのに、それもひっくるめて「若いね」「青春だね」とか言われる。苦しみを無視されているような感覚になる。もちろんそんなことは考えていらっしゃらないのだろうけど。
「若い」その言葉は彼らが勢いを持って行動できないことの言い訳のように聞こえることがある。「若さ」を理由に問題解決をこちらに全部押し付けないでいただきたい。
確かに立場の違いとか経験の多さとか年齢による違いは色々あるが、幻想を私たちに押しつけすぎだと、思う。
過去は美化される、とよく言ったもので、「大人に」なってしまった人は「若かった」頃の思い出は今若さを生きている私たちよりも美化されているのだと感じることが多い。
別に特別何かしてほしいとか、そういう話ではないが、私たちは「若者」以前に人間であってそんなにキラキラしていないし、あなた達の過去あるいは若いときこうありたかった姿、美化された思い出の中にいるあなたを投影しないでほしい。
私たちは「若者」である以前に人間であり、あなたたちとは全く違うバックグラウンドを持っているのだから。
ということを私が話す「大人たち」に対して感じています。
もちろん、全ての人がそういうことを言う人ではないことは分かっている。
でも、何を期待されているのか、また、彼らの目線が私たちの実在する姿を超えて何か別の幻想を見ているような感覚をしばしば覚えるので書き留めてみた次第です。
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