平日用のパパが足りない
「平日用のパパが足りない」
〜第一話〜
3歳の娘が眠りにつく頃、私はそっとため息をついた。今日は絵本を4冊も読み、やっとのことで寝かしつけた。夫は毎晩帰りが遅く、週末にならなければ娘の顔を見ることもほとんどない。そんな生活をもう何年も続けているうちに、私の中の「家族」という感覚が、薄れていった。
そして気づいたのだ。家事も育児もすべて一人でこなすこの生活に、もう限界が来ていることに。「もう一人、平日用のパパがいればいいのに」と冗談混じりに口に出したその言葉が、頭の中でふわりと浮かび、冗談では済まされなくなってきた。
秋の夕暮れ、保育園の門の前で娘を迎えに行くと、彼がいつものように自分の息子の手を引いて出てきた。シングルファザーの彼とは毎日顔を合わせていて、娘の送迎やイベントの話をするうちに、なんとなく気を許すようになっていた。
その日もふとした会話の中で、私の口が勝手に動いた。「ねえ、もし良かったら、平日だけ…娘の“パパ”やってくれない?」自分でも驚くほど自然に言葉が出て、あっけにとられる彼を見て私は少し焦ったが、続けた。「あの、変な意味ではなくて。うちの夫...平日は仕事で遅くて家のこと何もで...」
彼は少し考えるように眉をひそめたあと、静かに微笑んだ。「わかるよ、君がどれだけ頑張ってるか、見てて思う。俺でよければ、平日の“パパ”やってみようか」
その瞬間、私は胸の奥が少し軽くなったような気がした。娘が嬉しそうに彼の息子と手をつなぎ、キャッキャと楽しそうに走り回る姿を見ながら、「じゃあ、明日はこの4人でご飯にいこうか」と彼が提案してくれた。
そして、次の日。彼と同じ時間に合わせてお迎えに行った。娘はキラキラと輝く笑顔で彼の手を握り、彼の息子は全力で私に飛びついてきた。私たちはしばらく並んで歩いた。彼は遊び心のある変なポーズで娘たちを笑わせ、私も思わず微笑んでしまった。
まるで心に欠けていたピースがはまるように、生活が温かみを取り戻していく。
しかし、心の奥ではわかっている。この「平日のパパ」がどれだけ頼りになっても、彼が「本物のパパ」になるわけではない。家族という形の隙間を埋めてもらっているだけで、私たちが望む愛情や時間を取り戻すことはできない。
それでも、今までにない満たされた生活が続き、私はこう思ってしまう。「このまま、二人のパパと生活する方が、心地よいのかもしれない」と。
それから数週間、彼は私の「平日のパパ」として娘のそばにいてくれた。週に何度か娘と一緒に遊んでもらい、その度に彼と過ごす時間が増えていくのを感じるようになった。彼の優しい表情、子どもたちへの愛情深い眼差し。そんな姿を目の当たりにするたび、私の心の奥底に封じていた気持ちが揺さぶられていった。
〜第二話〜
ある日の夕暮れ、娘を彼に預けて、ほんの数時間だけ一人の時間をもらった。久しぶりに自分のためだけにカフェに入り、ぼんやりと窓の外を眺めていた時、不意にメッセージが届いた。「そろそろ合流する?今、公園のベンチにみんなで座ってるよ。」彼からの一言に、私は胸が高鳴るのを感じた。
公園に向かうと、夕日を背に彼と子供たちが並んで座っていた。彼の隣に腰掛けると、彼がふと、私の手を静かに取った。「いつもお疲れさま。君が休みなく頑張ってるの、すごいと思うよ。少しはゆっくりできたかな?」その言葉に、涙がこぼれそうになった。誰かにこんなふうに気持ちを理解されることが、どれだけ心を軽くするのか忘れていた。
その日から、彼とは「平日のパパ」としてだけでなく、心の支えとしても会うようになった。娘と彼の息子が遊んでいる合間、少しだけ二人だけの時間をもらっては、何気ない話を交わし合う。穏やかで優しいその時間は、いつの間にか私にとって不可欠なものになっていった。
そしてある夜、娘が眠りについた後、私は思い切って彼に「会いたい」とメッセージを送った。すぐに既読がついた後、彼から電話がかかってきた。熱を帯びた声でゆっくりと彼は話し始めた。
「毎日同じことを思ってた。俺も会いたい、夜もずっと君たちの隣にいたい」
私は明日も明後日も続く生活の中で、こうして癒され、支えられることがどれだけ心に必要だったのか、ようやく気づいたのだ。
ただ、心の片隅には微かに罪悪感もあった。夫が仕事漬けで家庭を省みないのを理由にして、私はこの愛情に甘えているのだろうか。でも、その答えは見つけられず、私はただ彼との関係に溺れていくのだった。
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