ゆらめきじゃない何か

サンタを知らない子どもたち。

「ねえ、サンタさんってほんとにいるのかなあ」

 ゆうりちゃんが言った。

「だってふつーに考えたら不法侵入じゃねー?」

 犯罪じゃないのかな、あたし、見たことないんだけど。りこちゃん、ある?

 わたしは驚いた。

 わたしたちは大学二年生だった。わたしは十九歳だけれど、彼女はもう二十歳だった。わたしたちは二人とも実家暮らしだけれど、ゆうりちゃんはもうすぐ一人暮らししようかなあ、なんて言っていた。
 ふと、わたしたちは中学二年生の時からずっと一緒にいるけれど、クリスマスに贈り物をしあうような習慣は二人の間にはなかったということに気がつく。クリスマス。
 クリスマスイブ、彼女は家でパーティをして、わたしは適当にそのへんをうろうろして時間を潰す。クリスマス当日、わたしたちはデートする。一緒に美味しいケーキとか食べたり、映画とか見たりする。

 だって、ふつうは、ふつう、という言葉はほんとうに好きじゃないのだけれど。そんなの不可能だと思うのだ。そんな、成人するまでサンタクロースの存在を信じ続けることができるなんて。

 彼女は根元が黒くなった金髪を手櫛でとかして、カフェオレをすすった。

 ゆうりちゃんから発せられる少しばかりのイノセンスに、もちろん今まで気がつかなかったわけじゃなかった。ゆうりちゃんのお母さんにも会ったことがある。自立していて、健全で、子どもとの距離感をしっかりとはかる人だってことが、すぐにわかった。綺麗にまとめられた髪と、お化粧と、マニキュア。どれもが眩しく思えた。

 残念ながら、わたしの家はそうじゃない。

 彼女から漏れ出す純粋さをわたしが受け取り、それを愛しながらも、わたしはどこかで嫉妬しているのかもしれない。こういう類のことは、認めてしまえばずいぶんと楽になる。わたしはそれも知っている。

 サンタさんなんて、いないよ。

 わたしは、ふいに、そんなことを口にしたくなる。しかもそれは別にサンタさんに限ったことじゃない。どんなことでも、わたしはたまに、ものすごい勢いをもって彼女の真っ白に守られた世界を壊したくなるのだ。

 

 サンタさんは幸せな家にだけ、やってくる。

 この言葉は、いつのものだったかな。わたしは記憶の迷路を直感だけですすみ、思い出そうとする。あまり、思い出してはいけないものだということがわかっているから。でも止められない。
 赤いランドセル。わたしが小学校の頃は今みたいに色のバリエーションがなかったから。ピンク色のランドセルの子が羨ましかった。

「りこちゃん、サンタさんに何もらうの?」

 明るい声。
 まだ何も知らない声。

「ママ、どうしてうちにはサンタさん来ないの?」

 静かな家。テレビもつけない。ごちそうもない。もちろんプレゼントも。

「サンタさんは、幸せな家にだけ、やってくるものなの」

 うちは幸せじゃないの?なぜ?

 尋ねるのは簡単なことだった。でも、そうしなかった。幼い頃のわたしは、決してそうしてはいけないと、わかっていたのだった。
 ママの綺麗にまとめられた髪。お化粧。マニキュア。
 わたしは彼女のそれが、たまらなく好きだったのだ。それは今も変わらない。でも、たまに虚しくなるのはどうしてなんだろう。ゆうりちゃんのママのそれと、何が違うのだろう。同じはずなのに。

「りこちゃん」

 名前を呼ばれて、わたしは迷路から抜けだした。

 ゆうりちゃんの目はやさしく、口元もやさしく、なんだか泣きそうな気持ちになる。わたしの家の事情を、クリスマスや、誕生日や、その他たくさんのイベントの話を、わたしは彼女に話してみたかった。彼女は不憫なわたしに、なんと声をかけるだろう。

「ねえ、サンタさん、見たことある?」

 彼女はゆったりと言った。さっきまでカフェオレが入っていたはずのグラスが空になっている。

「あるよ」

「え」

 わたしが答えると、彼女は目を丸くして、そのあと柔らかく笑った。癖のようにグラスを持ち上げるけれど、そこにもう何もない。
 ゆうりちゃんが顔を近づけてきて、わたしは目を閉じた。唇が触れ合う間際になって、彼女は囁く。

「ねえ、知ってた?」

 耳に心地いい彼女の声がわたしの鼓膜を揺らして、脳みそにまで届くのがわかった。わたしはその過程を想像するのが、ひそやかな楽しみだったのだ。
 彼女は言う。わたしも言う。サンタさんなんて。

 サンタさんなんて、ほんとはいないんだよー、だ。




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