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それは刑期にも似た人生の終わり【浅倉透 GRAD編】

や〜ばいのが来ちゃって。

数多くのオタクを墓へ放り込んできたGRADシナリオが、ついに担当に実装されました。
私はこれでも浅倉透を担当している身分なので、もちろん彼女のシナリオからプレイしたわけですが、

鈍器で頭を殴られたような衝撃〜

今回のGRADシナリオの何がそんなにヤバいかって、もちろん何もかも全部ヤバいんですけど、その最たるは「浅倉透という人間の内面にしっかり踏み込み、かつ彼女の抱える苦しみを初めて正面から描いた」点にあると思います。
今までのプロデュースシナリオは、あくまでプロデューサーの視点から視る浅倉透であり、彼女自身が実際何を思い、何を考えているのかははっきりと明かされないままでした。浅倉透という人間自体に踏み込まれているのは、むしろサポートアイドルのコミュの方が多かった気がします。
それが、今回はプロデューサー側からの視点ももちろんありつつ、かつ"委員長との対話"が随所に挟み込まれることで、浅倉透本人の視点から視える世界にも触れることが出来るようになっているんですね。

というわけで、今回のGRADシナリオは浅倉透という人間の解像度をグッと上げてくれる完璧な物語だったんですが、急にそんなものをぶち込まれて冷静でいられるわけもなく、私はこれを読んで以来、朝も昼も夜も浅倉透のことしか考えられない身体になってしまいました。実装日なんかは特に眠れなくて、AM3:00まで就寝出来ず…。ソシャゲに人生を狂わされ過ぎている。てことで、未だに他のノクチルメンバーのGRADにも、追加された新規PSSRにも手を出せていません。なのでちゃんと自分の中でケジメをつけるために、早いとここのnoteを書き上げたいと思います。正直なところ、まだいまいちまとまっていないまま書き始めているのですが、良ければ最後までお付き合い下さい…。

【鼓動】

クラス発表での、ナレーションの役目を任された浅倉。湿地における食物連鎖がテーマみたいです。
食物連鎖っていうと、sSSRの【pooool】を思い出しますね。今回はこのカードについては触れませんが、別記事で取り上げているので良かったら是非。

ここで浅倉が気になっているのは「ミジンコ」です。ミジンコに血や心臓はあるのか否か。このシナリオにおけるミジンコっていうのは、まあ何だか色んなメタファーが集約されていそうで厄介です。
浅倉も話しているように、植物プランクトンを動物性プランクトンが食べることから、食物連鎖は始まっていきます。その連鎖の始まりということは、いわば消費者という括りの中では最も弱者にあたる、最下層ということ。言ってしまえば、食べられるために生きているような生き物かもしれません。そんな、食物連鎖という生命のループに流されているだけに見えるミジンコにも、血や心臓はあるのか。ちゃんと生きているのか。それが浅倉は気になるんだと思います。なぜなら、自分と重なるから。
どういう点を自分と重ね合わせているのか、というのは次のシナリオ以降で見ていきます。

【携帯が鳴ってる】

浅倉がバズってしまいましたよ!!!!!みなさん!!!!!!
浅倉の魅力を知ってるのは俺たちだけでええねん…、とか思いつつ。

と同時に、ここで委員長が本格登場します。委員長は今回のシナリオにおけるキーパーソンみたいな人物ですね。浅倉の独特な存在感や雰囲気を見込んでの依頼でしょう。ナレーターの役割をお願い出来ないか、と交渉するのですが、そこでの委員長と浅倉の会話の中で、重要と思われる部分をここでピックアップします。

「アイドルってどうやってなるの?」という質問に対して、浅倉は答えられません。それどころか、そもそも「なってないかも?」と返します。
なぜなら、"息してるだけ" のなんとなくで、アイドルを続けているからです。
浅倉がアイドルになったきっかけは、そもそもスカウトです。そしてアイドルになって以降は、個人でも、グループとしても、たいして大きな仕事は入ってこない。スカウトされたからアイドルになって、なんとなくアイドルを続けて、なんとなく仕事をこなして。流れていく時間と環境に、身を任せているだけ。アイドルとして存在している実感はまるで伴っていない。
今回のツイスタのバズりだってそうです。浅倉自身が努力をして得た結果とは言えません。たまたま写っていた写真が、たまたま人々の目に止まっただけ。それは浅倉の努力が引き寄せた出来事とは言いがたく、彼女の持って生まれたものが評価されただけ、と考えるのが妥当でしょう。

先程のコミュで、浅倉は何故「ミジンコ」を自分に重ね合わせているのか、という話をしましたが、彼女がミジンコと自分の共通項として捉えているのは、この「ただ息をして、流されているだけ」という点ではないでしょうか。食物連鎖というループの一部として流れていくミジンコと、環境に流され、息をしているだけのアイドルの自分。だからこそ浅倉は、ミジンコにも心臓があるのか、流されるだけじゃなく、ちゃんと生を伴って息をしているのかって、それが知りたかったんですね。

【息してるだけ】

ツイスタがバズった浅倉に、突如たくさんの仕事が舞い込んできます。このコミュ内ではラジオ番組に出演していました。語ることが多いので今回は割愛しますが、まあ浅倉っぽいっていう感じで面白かったです(小並感)。

ここで触れたいのは、仕事が終わり、車に戻ってのプロデューサーとの会話。

突然の仕事量により、浅倉の体調を案じるプロデューサー。それに対して浅倉は、「心配されるほどやってない」と答えます。これは決して強がりとか気を遣っているとかではなく、ただただ彼女にとっては「頑張っている」という実感がないんです。
今までシャニマスをプレイしてきていればわかる通り、浅倉には絶対的な存在感とセンスがあります。ただ立っているだけでもカメラに映れば絵になり、カメラマンに褒められる。ラジオに出れば何となく喋っているだけで周りが面白いと笑ってくれる。彼女自身が苦労しなくても、周囲が勝手にアイドルとしての浅倉透を作り上げてくれる。それこそ、息してるだけで。

少し場面がそれますが、『10個、光』のコミュ内での浅倉の台詞がフラッシュバックします。
息してるだけでアイドルとして成立してしまう彼女としては、自分の頑張りは「さっぱりおろしハンバーグとカキフライ膳」にすら見合わないんでしょう。

そんな浅倉にとって、委員長との邂逅は、まさに「努力」している人との出会いでした。

1つ前のコミュで、浅倉は委員長に「あれ、1番だっけ」と聞き返していますが、これはもちろん皮肉なんかじゃなく、彼女にとっては委員長が1番であろうと2番であろうとどっちだって良かったことの表れなんじゃないかと思います。浅倉にとっては、委員長のする「努力」というのが眩しくて、未知の存在だったはず。その努力する姿に触れてしまったからこそ、今までの、そして現在の自分の生というものを、より味気なく感じるようになってしまった。委員長の人生と比べたら、なんて「楽勝」なんだと。

【どうしたいのかとか、聞かれても】

ここ、出だしで「えっ!?!!?!??!」ってなりましたよね、みなさん。
浅倉透が、汗をかき、息を切らしている…?
今までじゃこんなの想像も出来なかった。この辺のシーンは本当に声優である和久井優さんの技量さまさまであり、シャニマスがフルボイスゲームで良かったと感謝する限りなんですが…。

レッスン中に着信音が鳴り、トレーナーに怒られてしまいます。

でも後の回想でわかるのですが、この着信は、浅倉にとって委員長からの大事な連絡だった可能性があり、その連絡にすぐ返信すること、それが浅倉なりの「ちゃんとやる」の形だったわけです。

この「ちゃんとやる」っていうのはWING編のコミュタイトルにもなっているように、浅倉透を考えるうえでの重要なワードの1つである気がします。

ちゃんとやりなさい って、今までもずっと彼女は言われてきたんでしょう。でも多分、じゃあ「ちゃんとやる」って具体的にどういうことなのか、その答えは誰も教えてくれなくて、浅倉は「ちゃんとやる」の正しい形を知らないままここまで生きてきた。だって例えば、浅倉なりにちゃんとやった、努力した、と思える行動をしたとしても、周囲から評価されるのはその頑張りじゃない。彼女の生まれ持ったセンスに対して賞賛が送られるだけ。それじゃあ、やっぱり自分はちゃんとやれていなかったんだ、と、また「ちゃんとやる」の形を見失ってしまいます。

トレーナーは浅倉に、喝として「河原を100周してきなさい」と言います。もちろん本当にそうしろと言っているんではなく、そのくらいの覚悟と精神力を持ちなさい、みたいな意味でしょう。
だけど浅倉は、本当に河原の100周を目指します。
なぜならそれが、現時点での浅倉が浅倉なりに見出した「ちゃんとやる」の形だから。100周し終えたら、それで頑張ったことになるんじゃないかと、「努力」したことになるんじゃないかと、そう考えたわけです。
今の浅倉の中ではきっと、努力すること=生きていること という式が成り立っているんじゃないでしょうか。だからこそ、努力して、自分の中にも心臓があるのかどうか確かめたかった。それ故の行動だと思います。あと単純に、走るという行為は息が上がって心臓がバクバクするので、必然的に「生の実感」みたいなものが得られやすいアクションだとも言えますね。

【息したいだけ】

「沈む」っていうのは、浅倉が目指してきた「のぼる」に対して、対照的な言葉だなあと思ったり…。

自分が本当にのぼっているのか、そもそものぼることが正しいのか、「『大丈夫だ』って言ってよ」という言葉からも、彼女の心の迷いが読み取れます。

心の機微を読み取ってか、浅倉が言いかけた「湿地に行きたい」という願いを叶えるために、プロデューサーは行き方を検索し始めます。
この、どこかに行こうとしているけれど踏ん切りがつかない浅倉に対して、プロデューサーがその背中を押して先導する、というシーンは過去のコミュにもあって

そう、かのジャングルジムですね。
ここにすごいデジャブ感というか、ああ繰り返しているなあって、そんな気持ちにさせられます。

そしていざ湿地(潟)を訪れて、浅倉はプロデューサーにこう言います。

私的にいっっっちばん辛く刺さった台詞です。
浅倉が「ちゃんとやる」の指標として目指した河原の100周。でも、100周したところで自分への評価は何も変わらないかもしれない。頑張っても、結局もてはやされるのは生まれ持ったポテンシャルに対してだけで、誰も本当の自分を見ようとしてはくれない。勝手に、自分の知らない浅倉透の"虚像"が作られていく。

浅倉透が望むのは、生の実感を得ること。それはすなわち、努力をすること。頑張ること。でも今までの日常生活ではそれが叶わなかった。息してるだけで世界は生温く進んで行ったから。
そこでアイドルになった。今までと全く違う世界へ踏み込めば、難しいことや辛いことがきっとあって、それを乗り越えるために努力出来るんじゃないかと思ったから。でもそんなこともなかった。頑張らなくても、案外アイドルは成立してしまう。人生はそこそこ上手く行ってしまう。じゃあ何を目指して頑張ればいいのか?その目標が見つからない。

とはいえ、浅倉も全く努力したことがないわけじゃないと思います。でも、誰も努力をしている彼女を見てくれなかった。その努力を、努力として認めてくれなかった。きっと、「浅倉さんってなんかすごいよね」か、「ちゃんとやりなさい」か。かけられる言葉はこの2極だったんじゃないでしょうか。

浅倉透は揺るがぬ自分自身を持ち、他人に流されないキャラクターだと私は思っていました。でもそれは勘違いで、全くそんなことなかった。彼女はずっと、自分が頑張っていることを誰かに認めて欲しかった。

予選前のコミュなんかは特に顕著ですね。
頑張れているぞって言葉を、他者から得たかったんです。じゃないと、自分で自分が生きていることを、確信出来なかったから。
このプロデューサーの言葉で、彼女は自分の生を肯定することが出来ました。そして同時に、他者からの意見を求めなくたって、自分で自分の命を抱きしめてあげていいことを知りました。

序盤にも触れたように、ミジンコは食物連鎖という生命のループに流されています。そして、浅倉も巡っていく環境や時間の流れに、自らの意志もわからないまま流されていました。でも、それで良かった。流されていたって、命は命。そこにちゃんと存在しています。そのくらいシンプルに考えていいんだと、ここで気付くことが出来たんじゃないでしょうか。

【決勝前後】

今までの浅倉の人生に、音はありませんでした。ここでいう音とは、生命の音。心臓の音とか、呼吸音とか、自分が生きていることを実感出来る音…ですかね。でも今の彼女の海では、沢山の生命がその産声をあげています。ちゃんと心臓の音は聞こえます。

ちょっと戻りますが、【携帯が鳴ってる】のコミュにあった、携帯の通知はひたすら鳴るのに、心臓の音(生命の音)は聞こえない(鳴らない)っていう対比が、ここで活きてきてますね。

心臓の音っていうと、ふと村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』を思い出したり。

もちろん本シナリオとの直接的関連は何も無いんですが、この作品においても、心臓の音っていうのが生の実感へと繋がっていて、何となく通じているような部分もある気がします。長くなるのでここでは触れませんが、個人的に超大好きな作品なので是非読んでみて欲しいです。話がそれちゃってごめんなさい。

【泥の中】

ミジンコに心臓はありました。
食物連鎖というループに流されているだけに見えたミジンコも、ちゃんと生命を伴って、強く生きていました。

理科(生物)には疎いんですが、一番最初のコミュでも触れられていた通り、ミジンコってちっぽけに見えても一応捕食者なんですね。植物プランクトンを動物性プランクトンが食べることから、食物連鎖は始まっていく。つまりミジンコは、食べられる側でありながら、食べる側でもあるんです。まあ、この世の大抵の生き物がそうですね。

浅倉の存在感は、色んなものを飲み込んでいきます。故に、周囲からは色んな捉え方をされます。自分の知らないところで勝手に浅倉透という虚像が出来上がり、その虚像ばかりが評価され、消費されます。でも彼女は、それでもいいと受け入れました。そのきっかけとなった一つは、おそらくクラス発表のナレーションの仕事でしょう。

浅倉にナレーションの仕事を依頼した委員長も、最初は彼女を誤解して認識していた1人でした。クールで話しかけづらい、とか、クラスのことにはあんまり興味無いんじゃないか、とか。でも彼女の雰囲気や存在感がこの発表には必要だと思って依頼した。
結果として、2年4組の発表は金賞を取りました。受賞の喜びもそうですが、何かをやり遂げたという達成感は確かに浅倉の中にもあったと思います。そしてその達成感も喜びも、委員長が浅倉透という虚像を通して彼女に依頼した仕事から生まれたものであり、浅倉透が生まれ持ったものが、この発表の中で活きたわけです。簡単に言っちゃえば、虚像も捨てたもんじゃないな、ってことですね。
ミジンコである自分の、捕食者という面ばかりに注目する人間がいるかもしれない。でも、そんな自分のことを、今回のクラス発表のように、他者が利用・消費(捕食)することでプラスの糧になれるのなら、どういう受け取られ方をしたって構わない。みんなに努力が努力として認められなくてもいい。自分と、そしてプロデューサーが、頑張ったことをちゃんとわかってあげられているならいい。今回のGRADシナリオを通して、彼女はそうした結論に至ったんじゃないでしょうか。

別に、浅倉透は罪を犯したわけではありません。けれど、生まれ持ったセンスや存在感・カリスマ性はやはりずば抜けていて、それは平凡な人間からすれば、いわゆる超強力バフみたいなものです。どんなに願っても手に入れられるものじゃありません。そんな超強力バフを持って生まれ落ちた彼女は、その代償として、ただただ静かに流れていく音のない人生を送ってきました。生の実感を伴わないまま、ゆるやかに進んでいく人生。それはきっと、神様が彼女に与えた「刑期」みたいなものでしょう。

でも彼女は、こう在りたいと思える自分に出会うことが出来ました。自分の生命を自分で認め、心臓の音を見つけることが出来ました。

自分という人間の輪郭がはっきりとし、進むべき目標も決まった今、彼女にとって人生は、まだ長すぎるものでしょうか。彼女の目に人生はどう映るでしょうか。"てっぺん"は見えるでしょうか。神様に与えられた刑期を乗り越えて、ここから浅倉透の人生は再び始まっていくのだと、私は信じています。

浅倉、好きだー!

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