春の嵐2023
メンタルジェットコースターきてるな〜の感じ。
春が嫌すぎる。
理由なく死にたなる。死に誘われる感じがある。
なぜ
夏の終わりも、春の訪れも、妙に心地良い風が感傷を誘う。
なんか痛い。なんか泣けてくる。苦しくて嫌い。
特段理由なんてないけど。
ひとつ言われたことが、なんかすごいダメージになって、価値観の相違の範疇でも嫌な気分になる。
明らかに余裕がなくなってる状態になってるのがわかる。
世間知らずのガキに言われたことなんかどうでもいいのに、引き摺る必要ないのに
なぜ年齢で焦らないといけないのか。
普通にキショい価値観。未熟者の価値観。
私の価値観で、感覚で、生きてなんの迷惑もかけてないのに、他人に平気で踏み躙られる。
何歳で何をしてこうなってないとおかしい、みたいに人は言うけど、おかしかったとしてお前に一切の関係もないことだろ、とさすがに思う。
私という資産の株主なんだったら、その権利があるけど、そういうことを言うのは大抵、私に対してなんの貢献もしていない人間に限る。
死んでくれや私の代わりに
こういう場合、気にするな、と言う人間がいるけど、そういう問題ではない。
気にしなければ無いのと同じ、みたいにあやふやにして許しておきたくはないから。
美しくないくせに、美しくないから理解出来ないことを、差別的に考えてるのはそっちだろとなる。
美人ですね、と言われて、そうですねと言ったら角がたつ。
私はその美しさも、そう言われることにも慣れているけど、その前提が分かったとしても、自分の美しさをすでに知っている、という風には思ってもらえない。
礼儀。一向に構わないし、それにもすでに慣れている。
自分の価値観が絶対だと考えているクソガキは、他人の絶対に対しての考慮とかを一切しない。
そういうものだと分かっていて、私はいつもそれになんの意見も言わないでいる。多様性。
他人を理解できなくて当然だけど、その姿勢を見せすぎるのはあまりに差別的で暴力的だし、分かり合えない前提の上から見ても最悪だと思う。
いきなり何も迷惑もかけていないのに殴られるみたいな感じ。
向こうからしたらツッコミで殴ったつもりでも、こちら側は全く面白くなくて普通に痛いので、暴力という認識にしか至らないような。
関係性という名のもとに胡座をかく行為は、愛情の腕試しをしているような幼い原動力からきている。
私のことが好きで、許されたくて受け入れられていると思いたい気持ち。
その事実を盾にして、真実を突きつけて、精神を攻撃してやろうとは思わない。
自分と違う価値観だというのは人間の前提と思っているし、同じじゃなくても全然不思議じゃない。
だからあえて正解を提示しよう、とかいう傲慢な考えが沸かないだけで、それを許しのポーズだと思ってしまうのは、やっぱりクソガキだからなんだろうな。
私は怒りの反射神経が悪いので、後からじわじわ不愉快な感覚が沸き起こってくる。
私のことを好きな人のことは好きでいたいし、ある程度平穏な関係性でいたい、という愛想の良さがそうさせる。
元々は非常に愛想が悪い子供で、ずっとそうだったけど、もう世界を大きなおしゃぶりだと考えるような子供じゃないから
愛で包み込めるような、そんな人になりたいと思っていたけど、やっぱり
てめぇ、ナメてんだろ。
ガキみたいな傲慢な大人は、人の善意に気づかないまま暮らしていくし、器の大きな大人という立ち位置をまともにとろうとすれば、非常に精神が疲れる。
救いがない。救いがなさすぎて、善意の顔して人に気に入られるのに、心は零度以下の人間みたいな器用な大人になりつつある。
切り捨てて、拾って、を繰り返すうちに、切り捨てることになんも感じなくなってくる。
最初からいつかさよならする、という気持ちで付き合っている。
ずっと一緒、と思うと苦しい。
爽やかにかっこよくいるというのは、こういうことなんかな。
戦国時代の武将みたい。織田信長の心構え。
あまりに忙しなく過ぎていく日常のせいで、脳のうみを出していくような文章になってしまいました。
物書きの仕事、納期がつらい。
コンプライアンスなどを気にしないでいい自由さが、文章や言葉の良さであり、面白さだと思うけど
仕事となるとそうもいかない。私は話が面白いんだけどな。面白ェ女、なんだけどな。