漢字記号説
導入
こんなしがない高校生のブログを見に来てくださってありがとうございます。
今日は、私が昔から疑問に思っていたことについて書こうと思います。
もし、私と似たような考えを持っている方がいらっしゃるとうれしいです。
私と違う考え方の方も、私のブログを読んでこんな考え方をする人間がいるんだなぁと面白がって読んでくださると幸いです。
改めて、私のブログを読みに来てくださってありがとうございます。
よろしければ、私の長話に付き合ってください。
小学生の時の出来事
私は文字の習得がかなり遅いほうで、中学生になっても漢字より平仮名を使うことの方が多かったのですが、そんな私が小学生の時に感じていたことです。
本には初めて出る漢字にルビが振られているものが多いですよね。
勉強せずに本ばかり読んでいた私は、ほとんどの漢字、熟語を本で覚えていました。
この覚える過程でぶつかったのが、知らない漢字ばかり出てくるという点です。
本を読み始めるようになったのは小学2年生からですが、小学2年生までに学校で習う漢字はせいぜい240字程度で、本を読むにはあからさまに不足しています。
高校生になった今であれば、漢字単体の意味や読みを知っているものが多いので、初めて出会った熟語であったとしても読み方や意味を推測することができますが、小学生にとってはその推測をするための土台がないので至難の業です。
そこで私が行っていたのは、漢字を記号としてみなすということでした。
一つ目の例
例えば、絢爛という字があります。
当時の私はこの漢字を読むことができなかったので、絢(けん)爛(らん)と認識することができませんでした。
なので、絢爛(けんらん)と覚えて、この二文字が並んでいるときは「けんらん」とよむんだなぁと考えていました。
もちろんこんな覚え方をしているものですから、腐爛という漢字を見ても、腐(ふ)爛(らん)と認識できず、腐爛(ふらん)と覚えるしかできなかったのです。
ただこのように二回以上同じ漢字で出てくると、さすがにどこが読みの区切りかがわかるので、爛と書いて「らん」と読むのではないかと推測することができるのですが、やはりこのやり方には日本語的に問題が出てきます。
それが、焼け爛れるという言葉です。
今までに学んだことから、爛という字は「らん」と読むのだと知ったので、それをこの言葉に当てはめると
焼(や)け爛(らん)れる
という、世にも奇妙な読み方になってしまいます。
勿論本の中では隣に爛(ただ)れると書かれています。
結局、焼け爛れると出ると、焼け「ただ」れると覚えるしかなく、共起しやすい言葉を手掛かりに、私の頭の中にある読み方のパターンからより適した方で読むしかなかったのです。
二つ目の例
私の友人に、漢字の読みをクイズに出してくる子がいました。
ただ、その友人が出してくる問題が小学生にとってはかなり鬼畜だったんです。
かなり前のことなので、当時具体的に何を出されたかまでは覚えてないのですが、同じ系統のものを例としていくつか挙げさせてもらおうと思います。
紫陽花
向日葵
鬼灯
牡丹
英吉利
和蘭
知るかそんなもの!!
小学生が初見で読めたらすごいと思いますよ、えぇ。
何をどうやったら紫陽花(あじさい)って読めるんだ?って感じですね。
だって、「あじさい」の「あ」の字もないですし、英吉利(イギリス)に至っては「イギリス」の「ス」はどこいったよって感じじゃないですか?
これに至っては分解して推測することもできないので、やはり一つ目の時と同じように、紫陽花という三文字が並んでいるときには、「あじさい」と読むんだなぁと反射的に覚えてました。
個人的に恥ずかしいエピソード
完全に余談にはなるのですが、小学校高学年の頃、私はよく地域の公民館に行き、ライトノベルっぽい小説を読み漁っていました。
その時に出会ったのが「至高」という漢字です。
私は読み方を知らなかったので、きちんとルビが振られているのを見て、あぁよかった~と思ったのですが、そのルビというのが
至高(スプレマシー)
だったんですよ。
そんなわけあるかいなと思いながらも、すぐに調べられるようなものを何も持っていなかったので、とりあえず至高は「スプレマシー」って読むのかと思い読み進めていました。
その後漢字の正しい読みを調べることもなかったので、知識が訂正されるしばらくの間は至高という漢字をみると脳内で勝手にスプレマシーと変換していました。
もし、誰かに漢字の読み方を聞かれていたらとんだイタイ人間になるところでした……。
漢字はナンジャモンジャ?
皆さんは『ナンジャモンジャ』というゲームをご存知ですか?
簡単に説明すると、カードに描かれた12種類のよくわからない生き物に対して名前を付けて、二回目以降に出てきたときに定義した名前が言えるかどうかっていうゲームです。
例えば、黒猫に対して「クロ」、白猫に対して「シロ」と名付けした場合、
再び黒猫のカードを引いたら「クロ」、白猫のカードを引いたら「シロ」といえるかどうかってことです。
つける名前は人によって変わるので、黒猫に対して、
「私の隣の家に住むおばあちゃんの娘さんが飼っていた白猫と私のお父さんの会社の上司が飼っている黒猫を両親に持つ子猫のふくまる」
と名付ける人がいれば、同じゲームに参加している人は黒猫のカードを引いたら、
あぁこれは「私の隣の家に住むおばあちゃんの娘さんが飼っていた白猫と私のお父さんの会社の上司が飼っている黒猫を両親に持つ子猫のふくまる」なんだなぁ
と思うしかないわけです。
これって、いままで私が漢字を覚えるときに使っている方法とすごく似ていると思いませんか?
私たちは日本という一つの同じゲームに参加していて、特定の文字の配列に対してこれはこうやって読むものだと定義したものを共有して文字上での意思疎通を図っている。
そういう風に認識することも可能なんじゃないかと思い始めるようになりました。
実は間違ってないのかも
とある大学の過去問を解いているとき、国語の現代文で長谷川櫂「涼しさの文化ー俳句はなぜ短いか」の一部を読みました。
その話によると、日本人は中国から漢字が伝わってくるまで大和言葉を話していましたが、文字は持っていなかったようです。
そして、弥生時代に漢字が日本に伝わると、ご先祖様たちは表意文字の漢字を用いてどのように大和言葉を表すか考えた結果、漢字の意味を一度無視して漢字の音で大和言葉の音を表すことにしました。
筆者はこのことを漢字を日本語の発音記号として使う方法だと言い換えています。
またほかにも調べてみると、漢字の音を一度無視してその漢字と同じ意味の大和言葉の音をむりやり当てたのが訓読みであるという説がありました。
私が十数年疑問に思っていたことが実はそんなに間違っていたことじゃないのかもしれないと思う今日この頃です。
最後に
小さいときに思ってた疑問って意外と成長するにつれて解決していくものですね。
小さいときに気になったことをノートにまとめておけばよかったとしみじみ思います。
(昔から飽き性だったので、三日坊主で続かないと思いますが……)
ここまで読んでくださりありがとうございました。
長くなってしまいましたが、面白かったと思っていただければ幸いです。
他にも興味のある記事があれば、ぜひ読んでいってください。
読んでくださった皆さんに幸あらんことを
またね~