
心の病について想う。
※僕は専門家ではありませんので、診断や治療についてはお医者様にお尋ねくださいね。
正式な疾患、そうでないもの、SNSの世界には勝手な決めつけにあふれている。
ASD、ADHD、愛着障害、双極性障害、うつ病、強迫性障害(OCD)、社会不安障害(SAD)、PTSD、アダルトチルドレン(AC)、毒親、HSP、エンパス、燃え尽き症候群(バーンアウト)、カサンドラ、アレキシサイミア(失感情症)等々────。
『心の問題』
そう言われれば確かにそうなのだろうけれど、生まれつきのものじゃないよね?問題が顕在化するのだから“障害”っていうんだ。相手あっての障害。
社会は普通の人専用に作られていて、それは普通の人たちが日夜頑張って維持している。
普通というのにもいくつかあって、平均的であることや多数派であること、倫理、常識、法律などに反しないこと。
厳密に“普通”というものは無いけれど、薄ぼんやりと普通は定義されていて、そこから遠ざかるほど“生きづらい”。
心の病は全と個、または個と個の摩擦が生む。世界と個の不協和音。
『“人”の住む世界は広がっているけれど、“人”の住む世界は狭まっている』
前者は生物としての人で、後者は社会にぶつからないものを人として表現しているんだけど、今の高度に成長した社会を維持するために人の定義が極端に狭くなってきているんだ。
だからね、僕は思うのだけれど、苦しいなら誰かの基準に従わなくていいと思うんだ。ただ、必要な力を培っていくだけ。
この“くだらない社会”に対して体裁を整えられるだけの知識や経験、体力や精神力を作っていくほかはないんだよね。
究極的に言えば、国も社会も法も倫理も、命や人権はそれなりに守ってくれるけれど、夢や理想や幸福は保証してはくれない。
でも、それは当たり前なんだ。
サラリーマンもOLも、学生も、主婦も、健常者も障害者も平等なのだから。
生活保護、ズルいって思ったりするでしょう?
でも、なりたくてなる人は多分いないし、生活保護の人も可能ならお金持ちになって遊びまわりたいなんて思ってるかも?
世界は既に平等なのよ。野生の論理(弱肉強食とか)や人の論理(法や倫理)は平等に人を縛る。
だけど抜け出すことも出来る。
それを打ち破るにはやはり【力】が必要。
体力でも精神力でも知力でも筋力でもいい。
もちろんコミュニケーション力でも経済力でもいい。
心の病は辛いよね。だってどんなに立派な肉体があっても、動くことすら出来なかったり、思いに反することしか出来なかったりするから。
でもさ、僕たちはこの世界で、生まれ持ったこの心と体で、生きていかなければならないんだからさ。自由に必死に戦っていこうじゃないのさ。
心の病になるくらいなら、誰かが決めたルール(野生の論理や人の論理)なんて無視していいよ。逃げてもいい。もちろんリスクはあるしそれを認め、その上で必要ならね。
出来ることから始めよう。想いのままに生きよう。
ただ、それだけよ。なるようになる。
必死に足掻く姿も格好いいじゃない。
頼れる誰かに頼ってもいいじゃない。
必死に頑張るのも、悩み苦しむのも、
生きるためなら楽しいよ?ちょっとワクワクする。
……しませんか?
さいごに、どうしてこの話題に触れたかというと、僕は過去にそういう人達に触れる仕事をしていた期間があるんです。そういう人達から感じていたことや、その経験から現在考えていることを形にしてみました。
理屈や常識ではなく、人生のレースで負けたとき、人生のレールから外れたとき、社会の枠から外れてしまったとき……そこで活かせるような“感性”をnoteでは詩と写真で伝えていけたらな〜とも考えています。
知識やノウハウは他の人が散々書いていますので。笑
長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
楽しみましょ、良き人生を!!!!!
いいなと思ったら応援しよう!
