野球を諦めた人生
ここでは、私が今日からnoteを始めたきっかけを綴ろうと思う。
価値の創造
私には「志高く熱い想いを他者に伝える」という生きる上で心に決めた言葉がある。それをより多くの人に知ってもらうための土台作りとして、このnoteを活用することにした。
自分自身の価値を生み出すためには、どのような考えのもと、人生を歩んでいくか考えなければならない。そこで私は、今自分自身に何が足らないかを考え、それはアウトプット能力だと言う結論に至った。
経歴
私の経歴としては、小学2年生の時に地元のソフトボールチームに入り、4年生から中学3年生まで硬式野球チームに所属した。
その後、地元私立高校へ進学し硬式野球部では主将を務め、現在は大学へ通いながら、母校の学生コーチを務めている。
大学野球
題名にもあるように、私は野球を諦めた。いや、諦めたと言うのは間違いで、「離れた」と言うべきであろうか。これまでの人生の中で、常に「野球」という文字が自分の頭の中にあったが、この2文字は大学1年目にして、大きく意味が変わることとなった。
大学進学後、硬式野球部へトライアウトを経て入部した私は、1年生の中で最も早く練習に参加し、我武者羅に野球に取り組んでいた。
同じ志を持つ者と、夜中の2時まで室内練習場で練習したり、ジムと契約して自分自身を追い込んだりしていた。その結果、1.2年生主体となるリーグ戦に出場することなどができ、スタメンではなくとも、途中出場するなどで、徐々に取り組みの成果が発揮されていた。
しかし、大学野球は甘くなく、以前に比べて格段に高いレベルの中で自分を維持することは、とても難しかった。また、自分の体力不足やレベルの低さから生まれ、日々苛まれる劣等感や孤独感と戦いながら、一人暮らし生活をするのは苦しかった。さらに、自分自身の野球に対する取り組みの質が下がっていっていることや、野球への愛が薄れていることに自分自身気づきながら野球をするのはとても辛かった。
そのような状況を打開すべく、高校の恩師や大学の野球部の監督と相談した結果、大学2年生になる直前の3月に野球部を辞めるという決断を下した。
このような経験は、一般的にネガティブな出来事として捉えられることが多いが、現在の私にとって、これらのような経験ができたことは非常に人生のプラスになっており、大学野球に1年間取り組んだことは、必ず今後の人生の糧になると考えている。
母校の学生コーチ
このような濃密な1年間を過ごした私は現在、母校の高校野球の学生コーチをしている。
大学野球を辞めるという相談をした際、高校の恩師からコーチをしないかというお誘いを受け、こんな私であればと、快諾した。
以前は、自分自身が主体的となって活動しており、日々自分たちの不足している部分を見つけ、課題を解決するために積極的に発言や行動をしていたが、立場が変わった今では、生徒に物事を考えさせるために一歩引いてみたり、生徒が発言しやすい環境にするべく、距離感を近くして話したりなど、毎日が工夫することでいっぱいである。
さらに、野球部という組織の中でさまざまな立場や色々な境遇を経験してきた人間がいるなか、一人一人にあったアドバイスや考え方を伝えることは非常に困難だ。
このような経験をした際に、私は組織内における活動の問題解決や組織の活性化、また、一人一人の成長機会をどのように与えるか、どのように生徒のモチベーションを高めるかについて、とても興味を抱くようになった。
視点の違い
「主将」を務めた高校時代とは、全く異なる視点が必要な「学生コーチ」。
立場は異なるが、考え方は似ており、自分の考えを言語化して伝える能力や相手の立場・考え方を考慮して配慮し的確にアドバイスする力など、これまで経験してきたことを分かりやすく伝えることはほとんど同じである。
また、学生コーチは監督と共に練習メニューを考えたりする必要や、生徒と監督の話を繋ぐ中間的な役割もあり、インプットからアウトプットをする能力がとても重要である。
アウトプット
このような事から、立場が変わった自分自身の価値を創り、高め、成長させていきたいと強く考えている。
さらに自分自身の事だけではなく、生徒たちの力をできる限り引き出し、最大限発揮させることができるようになる為に、また自分自身の「生き方」に嘘をつかないよう、このnoteに「アウトプット」していきたいと考えている。