頭上15mのヤシの木から
4人兄妹の2番目に生まれた。幼い頃に身につけていたのは、綿の腰布一枚。靴は持っていない。裸足で生活している。
朝、目が覚めると、兄弟、従兄弟たちと庭へ駆け出る。草を食む母ヤギの一頭に目をつけ、ごろんと横向きに転がすと、そのまま吸いついて乳を飲む。横で子ヤギが、自分の乳だ!とばかりに蹴ってくる。
小高い丘の上に立つ、マホガニー材で建てた家。家畜のヤギ、ニワトリ、カモが歩き回り、犬も猫もたくさんいる。
家の裏手には、サトウキビ畑とヤシの木々。バナナ、マンゴー、パパイヤの木は自生している。ダロやキャッサバ、ヤムなど芋類は、種芋を植えておけばすぐに育つ。
丘を降りたところにある井戸に、毎朝水を汲みにいく。水を入れた20Lの容器はものすごく重い。でも水がないと母さんが料理を作れないし、洗い物もできない。水がめをいっぱいにしておくには、兄ちゃんと3往復しないといけない。
季節は雨季と乾季があるけど、年中暑い。ただ、朝の山は、息が白くなるほど寒い時もある。朝露で濡れた土は、足の裏に冷たい。
家から1時間ほど歩くと、川と海が接する河口がある。そこのマングローブの根元で、でっかいヤシガニを捕まえられる。やつらの大きなハサミに挟まれないように捕まえるのは骨が折れるけど、母さんの作るヤシガニのカレーは絶品だ。
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サイクロンの季節は毎年11月から4月。強風が吹き荒れると、空高く伸びたヤシの木はグイーングイーンと大きく揺れてココナッツの実を落とす。
激しい雨風の中、近所の子供達は木から落ちたココナッツを拾いに駆け回っている。ただし硬いココナッツの実の直撃を受けたら大怪我だ。頭上に注意しながら急いで拾う。
水辺に生えるヤシの木は、真上ではなく地面と平行に伸び、そして徐々に空に向かっている。そんな横向きに生えるヤシの木は、強風に煽られると、ゆっくりと上下に揺れる。
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その日、フィジーの北東に位置するバヌアレブ島の西側にサイクロンが近付いていた。家をギシギシと唸らせる強風にも、バケツをひっくり返したような勢いで降る猛烈な雨にもひるむことはなく、子供達は皆むしろワクワクしていた。
「兄ちゃん、そろそろ行こうか。」
「ああ、いいよ。」
突風が吹き荒れる中を、大声で笑いながら、裸足で走って川へ向かった。
前に進めないほどの強風に押さえつけられたかと思えば、今度は背中から急に吹き返し、足が空回りしてつんのめるほど、前へ前へと押しやられる。強風にもまれて走るのが、ただ可笑しくて仕方がなかった。
「おい!お前っ!俺と同じ葉っぱにつかまんなよっ!折れたらどうすんだよ!おいっ!バカ、お前!」
「ひゃっほーい!おおおお!すげぇ高ぇ!」
川べりに横向きに生えたヤシの木の先端が、川の水面すれすれまで風に吹きつけられている間に、子供達はそれぞれ太い葉の根元につかまる。そうすると今度は、反対側から吹いてきた突風がヤシの木の先端を10m以上も、高く高く持ち上げる。
子供達は上下に大揺れするヤシの木につかまり、足元の地面がどんどん離れて行って、川全体と、遠くには浜辺まで見渡せるところまで上っていくのを楽しんだ。
「これは俺が先につかんだ葉っぱだぞ!お前はあっちの葉っぱを掴めよ!」
ヤシの葉に両手でぶら下がったまま、隣の従兄弟を足で蹴った。
「うるせーな、落ちるだろ!やめろよ!ハハハ」
ヤシの木が一番高いところまで持ち上げられた瞬間、掴んでいた葉っぱから、皆一斉に手を離す。
「ひゃっほーーーーい!」
10m以上の高さから、バッシャーーーン!と次々に川の中に飛び込む。
「ヒャハハハハハ!!もう1回やろうぜ!!」
暴風雨が吹き荒れる中、ヤシの木のてっぺんから、川面への飛び込み遊びが続く。
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「子供の時は、人は老人にならないと死なないと思っていたんだ。」
夫はそう言って笑った。
「子供達はたぶん、みんなそう思っていたよ。だから間違って、川じゃなくて地面に叩きつけられたとしても、腕や足の一本くらいは折れても、死ぬことはないと思っていたんだ。」
・・・
夫が育った環境の実話だ。裸足に腰布一枚、朝はヤギの乳を直飲み。まるでジャングルブックの世界。
そんな夫は現在、先進国日本で、クラウドサーバーやネットワークセキュリティの管理をするネットワークエンジニアとして勤めている。
裸足の水汲み少年がエンジニアになったのは、「一生水汲みなんかしていたくない!」という強烈な思いがあったから。
自給自足に近い暮らしは、想像以上に過酷だったようだ。こんな話も聞いたことがある。
街場の建設現場で重機オペレーターとして働いていた父親が、少ないながら現金収入を得ていた。
そのお金を持って、母親が市場に出かける。本当は育ち盛りの子供達に肉を買いたいけれど、お米を買った方が長期間食べられるからと、お米を買って帰って来たそうだ。
肉か米か、どちらか一方を選ばなければならない。そんな暮らしを変えたい。
変えたいという想いは人生を変える。
裸足の水汲み少年のように、強烈な想いが抱けたら。