68年目に突入

今日から68年目に突入。
別に変わった事をする気は全くない。

昨日は67年間生きてきたと言う証の通過点にしか過ぎない。

67年間3度死にかけている。

1度目は2歳の頃のようだ。
自分では全く覚えてはいないが、
小児結核で6ヶ月入院していたようだ。
その間に何度か病状の急変もあったようだ。

2度目は33歳の時の水疱瘡。
娘が保育園で罹ってすっかり元気になった直後に・・・
40度の発熱が4日間下がらず半分気を失いかけていた。
当時の女房には「明日目が覚めなかったら救急車を呼んでくれ」と言ってたようだ。

3度目は48歳で脳梗塞。
朝、日本出張の前に冷蔵庫の霜取り(今は霜なんか着かないよね)をして手が冷たかった。
そのせいで左手小指の先の微かな痺れも冷えたせいだと勝手に判断。
その夜のフライトで日本へ行くのでドンムアン空港へ。
女房(現在の)が心配で空港まで一緒に来るが、
タクシーを降りて歩行が困難なためチェックインカウンターでホイールチェアを要求。
しかし、医務室で検査してからと言うことで医務室に向かう。

医務室のドクターが女房に「やばいよ、血圧200超えてるよ、どうする?早くしないと死ぬぞ」ってタイ語で。
私は即座に「どうするじゃない、救急車を呼んでくれ!」と。
その後の会話は・・・
「何だタイ語わかるのか。わかった、救急車を呼ぶけど、無料か有料かどっちにする?」
「どっちでもいいから早い方にしてくれ」
「どこの病院にする?」
「当然、脳外のドクターがいる病院にしてくれ」

そんな会話の後に救急車が到着し病院に向かう。

そして病院に到着、事務方が「検査するので保証金3万バーツを」と。
金のない奴は私立ではなく国立に行け!って感じ。
そして保証金を支払い検査に。

その夜はCTのみで点滴投与・・・

翌朝(数時間後)、MRIを撮影。
やっぱり脳梗塞と告げられる。

普段から血圧は高めだったのだが、
48歳で脳梗塞は自分でも想像していなかった。
もうその診断を聞いた頃から呂律が回らなくなり出していた。

詰まっていたのは末梢血管だったようで、
オペせずに薬で治療することに。
そして10万バーツの保証金を要求される。

症状は左半身に痺れ。
声帯も麻痺しているため言葉にならず、
食事を摂るにも口の左半分は感覚がないため溢すしヨダレが。
情けない、の一言。
1ヶ月ほどの入院生活を終えて帰宅するが、
2日に1回リハビリのための通院。
6ヶ月間ほどは松葉杖の生活だった。
言葉は3ヶ月ほどで回復したが、
話ができない辛さも身に染みて感じた。

リハビリ終了までの6ヶ月間はただただ女房に感謝。
今こうして68年目に突入できたのも女房の介護のおかげ。

復帰数ヶ月後に女房の姉の旦那の運転で深夜に実家に帰省。
その途中で長距離バスのセンターラインオーバーを避けるために助手席にいた私が咄嗟にハンドルを左に切る。
正面衝突は避けられたものの、
左側は深さ1メートルほどの側溝。
水がなかったのも幸いしたのか、
数回転して側道に上がって止まった。

ハンドルを握っていた姉の旦那は放心状態。
私の後ろに座っていた女房は座席の下に足を挟んで亀裂骨折と足首の靱帯断裂。
私は頚椎捻挫。
乗っていたピックアップは全損。
運転してた女房の姉の旦那と姉はかすり傷程度。

若い頃ラリーをやってて何度か崖から落ちた事があるので、
正面衝突は避けれたので「死ぬかも?」とは全く感じなかったが・・・

67年も生きてりゃ色々ありますよ。
良いことも悪いことも。

人生順風満帆なんてことはあり得ないよね。
人生は海図の無い航海、羅針盤だけが頼り・・・

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