「海を填んで」を振り返って①
さて。何から話そうか。
あ、初めて僕のnoteをご覧になった方は、初めまして。フリーの役者・ビブリオバトラーとして活動しているアメージングだいやって言います。よろしくお願いいたします。
今日はですね。先日終演しました、僕が主宰を務めている演劇集団あまちゅあでいとの第二回公演『ボクらなりの告白』にて上演した、「海を填んで」という作品の話をしようかと思います。
先に断っておきますと、公演をご覧になっていない方は「何の話をしてるんだ?」と思われるかもしれません。申し訳ありません、事前に謝っておきます。
昨日更新したnoteにて脚本は全文公開しております。かなりの文章量ですが、お時間ある方はぜひお読みになってからこちらを読まれる事をお勧めいたします。
…さて。
芝居をご覧いただいた方・脚本を読んでくださった方は、きっと共通してこうお思いになられたかもしれません。
「なんなんだ、この終わり方は?」
途中まで…いや、本当に最後の際まで一つのシチュエーションで普通に話が進んでいたのに、急にどうしたんだ?最後の男の子は、いったい誰なんだ?結局これは、どういう話なんだ?
皆様が混乱されるのも無理はありません。なにせ、作り手である役者たちも、この物語の全容を捉えるのに非常に苦労しておりましたから。
以前のnoteにもチラリと書いたかもしれませんが、僕は脚本を書く時や公演を作る時は、込めたい想い・メッセージやそれを届けたい相手を明確にします。その『相手』が、誰か特定の人物であったり「~のような方」というイメージの場合だったり、そのような差異はありますが、『相手』を設定しなかったりイメージがふわふわしているというような例外は絶対にありません。
「海を填んで」もご多分に漏れず、それらをきっちりと設定した上で書かれ、作られました。
そもそもこの、分かりにくいタイトル。初見ではまず読めないし書き間違えやすいのに、なぜこんな題名なのか(ちなみに、「填んで」を「慎んで」と勘違いされる方が大勢いらっしゃいました。フライヤー制作をしてくれた美術さんも勘違いされて、クレジットが「慎んで」になってしまっているのは…ご愛敬です笑)。
実はこのタイトルには、元となった四字熟語があります。
『精衛填海』。『せいえいてんかい』と読みます。意味は、「人ができそうもないことを企てて、結局それが無駄に終わる事。また、いつまでも悔やみ続ける事。」ここから、一切作中では海なんか出てこないのに、タイトルの表題に決まりました。
……ああ~ダメだ、1日じゃ全然まとまらない…!💦💦
ごめんなさい、これ…明日まで続きます。めっちゃ濁してる感じで気持ち悪いけど…!今から明日の分推敲してくので、お待ち下さいませ!🙇💦💦
それでは!
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