22歳の地図

17歳の地図をあの頃に聞いていなかったせいで道に迷っているのかもしれないと今の自分のザマを過去の自分のせいにしている。

しかしそんなはずは無いのはわかっている。17の頃の俺には喧嘩にナンパ、十七のしゃがれたブルースも無いのだ。あるのは夢見がちな自分とせいぜいセンチなため息くらいのものであった。

17歳になった日聴いた曲はたしかBase Ball Bearの17才だったような気がする。あの頃は叶わない恋をしていた、まさにレモンが弾けるような日々を送っていた訳だがあの頃の自分には正直コンプレックスを抱いている。なんならずっとコンプレックスを抱いているが特に高校時代以下の記憶は消すようにしている。なのでまだ実質4歳です。優しくしてください。寝返りを打ったら褒めて欲しいし、1人で買い物出来たら感動して泣いて欲しい。

まあそんなことはさておき今道に迷っている俺には新たに22歳の地図が必要である。それを見てこれからの展望を考えなきゃ行けないのだ。17の時は大人になんかなりたくねぇとか言ってたけど今はなんだろう、なりたくは無いんだけどきっとなってるんだろう。世間的に言う大人になっているんだろう。ただ小さい頃は22はもっと大人だと思っていた。めちゃくちゃ正しいこととか言ってかっこよく生きてると思っていた。なんならプロ野球選手になると信じて疑わなかったがそんな夢は消えた。

そういえばこないだ例の地下アイドルに

お前小さい頃ヒーローになりたいと思ったことないやろ!!笑笑

と言われた。俺はウルトラマンティガになりたかった。彼にもそう伝えたら

お前には今その気持ちないやろ!!笑笑 俺は今でもあるよ!笑

と言われた。ムカついた。否定したけど確かに今はヒーローになりたいとは正直思っていない。何となく生きてなんとなく死んでいくんだろうと、これまた何となく思っている。ウルトラマンティガにはなれないことは分かってしまっている。なぜならそもそも巨人が復活する方法はただ一つでダイゴ(長野博)が光になることなのである。俺が光になってもあの光の巨人の石像は復活することは無かった。だから俺はウルトラマンティガにはなれない。保育所の卒園式でみんなの前で大きな声で夢を言うのだが大きな声でウルトラマンティガになりたいと言って席に戻ったら隣の女の子に本当は存在しないんだよ!と言われた。その程度で諦めるような夢だった。ヒーローとは所詮その程度なのである。そこで諦めなかった人間がきっとヒーローになれるのだろう。

だいたいヒーローってなんだ。正しいことをすればヒーローなのか、

ヒーローと悪役の違いはなんだ。

正義とはなんだ。

やはり俺はヒーローにはなれない。なんなのかもよく分からないからだ。

結局書いているうちに俺の22歳の地図は完成するかなと思って書いていたが結局見つからなかった。だからといってなんとなくを地図にして歩く訳には行かない。俺の22歳の地図の目的地はせいぜい25歳の地図を見つけることだろうか。見つけられればいいですよね。

最後に好きな曲の歌詞でも乗っけておこう。あえて十七歳の地図の歌詞はのっけない。


考えてみると 今までの僕は 情熱と挫折の繰り返しだった

でもいつからだろう 無関心ばかりを装うことを覚えたのは

恋も欲しいし 富も欲しい 優しさも欲しいし 冷たさも欲しい

手にしたものと失くしたものが いつも後ろめたさを連れてくる

すみません しあわせはおいくらですか?

で 僕のギターにはいつもヘビーゲージ

(僕のギターにはいつもHeavy Gauge 長渕剛)






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