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全力で推したい告白【ショートショート】

(あらすじ)一人一人にベストな告白を提案する「告白カウンセラー」。彼女のもとに、患者・37歳M男が表れた。緊張した面持ちの彼の「ひとり語り」が始まる。

「推しが、結婚したんです」

一人用のソファに腰を下ろした37歳の患者、M男が言った。

「こ…こ…『告白カウンセラー』さんのお世話になるなんて、思いもよりませんでしたよ」

東新宿のネオン街の古ぼけたビルの一室で、わたしは精神科医を兼業して告白カウンセラーをしている。

この街では、精神病を患う大人が朝から晩まで働いているのに、誰もそれを気にしない。本人さえもそれを気づいていないのだから世話がない。

それなのに、誰も精神科医を頼らない。精神科に通うことに、拒否反応を起こす人は多い。「会社にバレたら?」「家族になんて話せばいい?」そんな思いを抱える人たちに毛嫌いされてきた。彼らに寄り添うには、精神科医の仮面を脱ぎ捨てる必要があった。

だからわたしは、ここ新宿で「告白カウンセリング治療院」を設立し、素朴なお悩みアドバイザーを装い、この街の患者を治療してきた。

それにしても、推しの結婚か。M男は目線を合わせずに話し続ける。

「か…か…会社の同僚から誰にもバレずに告白を聞いてくれる人がいるって、紹介されて来たんですけど……。ぼくの告白を聞いてくださるってことでいいんですよね?」

「ええ、いいですよ。推しているタレントさんが結婚したことで、ショックを受けていらっしゃる、ということですよね」

「い…いえ、そんな単純ではないんです。たしかに推しのアイドル沢口N花のけ…コホン。結婚が原因です。推しは、演技派俳優と結婚を発表しました。そのときに思い出したのです。ぼ…ぼくがN花を推すようになったきっかけを……」

吃音がちのM男。なんらかの心理的ストレスを抱えているのかもしれない。

「話してみてください。あなたはどんな告白をされたいのですか? 」

M男は、深呼吸をして語り始めた。

「……小学2年の頃です。近所にポニーテールがよく似合う6年生の女の子がいました。集団登校が決まりでしたから、その女の子はいつも家まで迎えに来て、て…手をつないで学校まで歩いてくれました。ぼくは、彼女に恋をしていました。は…初恋だったと思います。

でも、彼女はもう少しで小学校を卒業します。もう手をつないで学校に行くことができなくなるのが、胸にナイフが刺さったみたいに痛くて。カウンセラーさん、ぼくは本気でした。

そんな矢先、彼女は、ぼくに一枚の紙を渡してきました。『仲の良かったみんなからのメッセージを集めているの』と言って、ピンクのウサギの絵が描かれた手のひらサイズのメモ用紙をぼくに渡してきたのです。

ぼくは、この紙にこぼれんばかりの想いを綴ろうと思いました。『好きです』『ずっと手をつないでほしい』『卒業しないで』『ぼくのそばにいて……』 でも、何も書けないのです。一文字だって書けやしない。

だってね、ぼくは知っていたんです。彼女が中学生になることを楽しみにしてるって。制服姿を買いに行くと言って笑っていた彼女の顔がいつまでも、いつまでも頭から離れません」

まるで、いま起きている出来事を話すような口ぶりだ。しかし、M男の顔は曇っていた。

「…彼女は、制服を買いに行く途中で、交通事故に遭いました。即死だったそうです。

ぼくは彼女にメッセージを渡すことができないまま、ずっとメモ用紙を握りしめたまま、生きてきたんです。だからかもしれません。ぼくは…いまも人に何かを伝えることが怖くてたまらないんですよ。最初の言葉がどうしても出てこない。出そうとしても、嫌われるんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないかって不安で言葉にならないのです。

そう、ぼくは彼女に告白したら、嫌われるのではないかと怖かったんです。…カウンセラーさん、笑ってください。ぼくは弱虫なのです。大好きな人に告白できず、30年も経ってしまったんですから。ふふ。自分でも気持ち悪いなって思いますよ。

でも、沢口N花を見つけたんです。N花は、彼女に似ていました。彼女の生まれ変わりだと思います。信じてないでしょう。写真、見ます?  ほら、この首すじのホクロの位置が一緒でしょ。

だからね、カウンセラーさん。ぼくは彼女に告白しようと思うんです。このメモ用紙に書いて渡したい。結婚してしまう彼女に、卒業してしまう彼女に、ぼくはやっと伝えられるって気づいたんです」

M男の言葉には、もう吃音がなかった。そのかわりに、手が震えていた。その手の中には、ピンクのウサギのイラストが付いたメモ用紙があった。

「おめでとう。だいすきです」と書かれた、メモ用紙だった。

わたしは手をそっと重ねて、頷いた。

「あなたの告白を、全力で応援しますよ」

M男は口をぐっとつむぎながら、メモ用紙を見つめた。

(記:池田アユリ)

毎週木曜、2枚のショートショートカードを引いて書いています。

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