水槽のエビを食べた子どもが、どうも愛しい【1000文字小説】
子どもを出産して驚いたのは、「ママだよ」と子どもに話しかけていることだ。
以前は「わたしはわたし」と思っていたのに、子どもと目が会った瞬間に、自然と「ママ」を受け入れた。
・・・・・
1歳になったばかり娘、れいながアンパンマンのおもちゃで遊んいる。髪が生えそろっていなくて、まるでキューピーだ。
「こぉんな天使のママなら、悪くないじゃんっ」
ユリカは元気よく言った。
それでも…子育てに向き合う中で焦りを感じていた。人と合わせることができない自分。すぐ忘れ物をしてしまう自分。すぐカッとなってしまう自分。そのすべてが、「ママ」の落第点のような気がするのだ。
「もうママなんだから、しっかりしないと!」
「子どもを育てるって、大変なことなんだから」
そんなふうに周りから言われると、「ママとして、一人前にならなくちゃ」と感じる。頭がきゅうっとなった。
(考えてもしょうがない。お昼ご飯の支度でもするか…)
台所で野菜を切り終えると、ふと娘の声がしないことに気が付く。
「れいなちゃん、どうした~?」
様子をうかがうと、彼女はしかめっ面をしながら、なにやら口をもごもごさせている。
ユリカに緊張が走った。
「なんか口に入れたでしょ、すぐに出しなさい!」
「うー」
「はい、ペッてするんだよ」
彼女が舌をべぇと出した。すると舌の上にエビがいるではないか。しかも、生きたエビ!
「ええ!…なんで……。あ、水槽!!」
部屋には大きな水槽があり、グッピーやら小さいエビやらを飼っていた。床が濡れている。どうやら、1匹のエビが跳ねて地面に落ちてきたようだ。
目の前に落ちてきたエビを、食べた?
「だからって、口に入れちゃダメじゃーん!」
笑いながら言うと、娘は照れるように笑った。
その時、ユリカは思った。
(完璧なママになれなくてもいいや。だって、彼女はこんなにおもしろい。誰かに認められるためにママになったんじゃない。彼女とおもしろいことを見つけて、一緒に笑うためにママになったんだから。)
ユリカが水槽にエビを戻す。すると、エビはすいすいと泳いでいった。
「すごい、れいなが食べたエビ、元気だよ!」
ユリカは娘を抱き寄せて「ほら、このエビだよ」とガラス越しに見せた。小さな手で水槽を指す彼女は、好奇心でいっぱいの顔をした。
彼女の触れるもの、食べるもの。すべてが彼女になる。そんな彼女が愛おしい。わたしも、わたしでいいんだよ、ね。
「でも、エビさんは友だちだから食べないでね」
彼女はへへっと笑った。
(記:池田あゆ里)