新米ライター奮闘記2020'~師匠中村洋太さんに救われて~【第2回】
今回は、ライター師匠である中村洋太さんがわたしのピンチを救ってくださったことを書いていく。第1回はこちら。
独自のインタビュー取材を試みる
ライターコンサルを受け始めた7月初旬。ライターとして何の仕事もいただいていない状況のなか、まず最初にしたことは「中村さんの真似をする」ことだった。
この中村さんの記事の後半部分に書かれているのだが、中村さんは趣味で会いたい人にインタビューをし、記事を書いていた。その経験が今のライター業に繋がっているという。
わたしも中村さんのように独自の取材記事を書こうと考えたのだ。
まずは「これは面白いだろうな」と思うアイデアをいくつかノートに書き出し、それに関わる人にインタビューさせてほしいとお願いした。当初は自分のアイデアを形にすることに意欲を燃やしていたように思う。
その後とんでもなく落ち込み、もうライターは向いていないのだと匙を投げることになろうとは思いもよらず・・・。
新米ライター、取材相手に翻弄される
取材相手とは金銭のやりとりはなく、お話を聞かせていただき、ご本人の紹介記事を作ることで恩返しをする、という形を取っていた。
ある取材相手から「できればこういうふうに書いてほしい」といくつかお願いされた。わたしは「もちろんタダでお話を聞かせていただくのですから、何でも書きますよ!」みたいなことを言った気がする。
いざ記事を書き始めると「何が目的なのか」が曖昧になり、まるで取材相手の顔色を伺うような文章が出来あがってしまった。
無論納得できない仕上がり。でも記事を書くと約束してしまったからボツにすることもできず、「仕事じゃないのに、なんでこんなに悩んでるんだろう?」と途方にくれた。
中村さんには「独自の取材記事を書くのでご指導いただきたい」と事前にお伝えしていたので、恐る恐る記事を送った。
師匠中村さんが記事を書き直す!?
返ってきた中村さんの添削は、「文章の添削」というより「記事の中身についての添削」で、Googleドキュメントの右側は吹き出しコメントで埋め尽くされていた。一つ一つコメントを読んで、「うぅ、お腹痛い」と唸った。
すると、すぐに中村さんからお電話をいただいて、いくつかの問題点を説明してくださった。
「試しに池田さんの書いた文章をもとに、ぼくがこの記事を書き直してみます。それを見れば何が良くないのか、わかるはずです」
もう書き直す気力も残っていなかったので、正直なところ「助かった」と思った。そんな風に思う自分が情けなくて、ちょっとだけ泣いた。
次の日、中村さんから「中村さんバージョンの記事」が送られてきた。
さわやかで、それでいて記事としてまとまっていて、なんて読後感の良い文章なんだ。
元の記事とは、似ても似つかない記事だった。もちろん中村さんは取材してないから、取材相手からお願いされたことはほとんど反映してない。でも中村さん記事のほうが、確実に取材相手を良く見せていた。
ギバーのライターが陥りやすい点
「池田さん、『GIVE&TAKE』という本は読んだことありますか?池田さんはあの本の中でいうと、ギバーの人なんです。テイカーに搾取されやすいんだろうと思います。お願いされると断れないでしょう?」
以前読んだことのある本だったので、本の内容と自分の今置かれている状況を照らし合わせることができた。(本の内容はこちらの記事でも書いてます)
もちろん取材相手がテイカーだと決めつけてはいけないと思う。実績のないライターが自分のことを書くのだから、慎重になって指示も出したくなるだろう。もっと信頼関係を築くことができていたら、違っていたかもしれない。
けどわたしは明らかに相手に翻弄され、怯えていた。相手の存在がどんどん膨らんで、身動きが取れず疲弊していった。
無料で誰かの話を聞かせてもらい、勉強のために記事を書かせてもらう。だからと言ってなんでも言うことを聞こうとしてはいけなかった。
大事なのは誰か?
取材相手か?
読者か?
自分自身なのか?
すべてを満足させる技術も度胸もまだなく、自分軸のないわたしがライターをしてもいいのだろうかと不安になった。
すると、中村さんは電話のなかでこのように続けた。
「僕もそうなんですよ。例えば昔こんなことがあって…...」
「え?中村さんも同じような経験があるの?」とおどろいた。
中村さんは過去の失敗談を話してくださったあと、「だから池田さんも仕事を選ぶときは気をつけましょう」と言ってくれた。
勇気を与える人
わたしは中村さんのこういう「人となり」に救われていると思う。厳しいことを言うけれど、決して上からじゃない。人に勇気を与える言葉がいつもある。わたしがへこたれずにライターを続けられているのは、中村さんのおかげだと思う。
「池田さん、無償でもそれをやりたいかどうか考えてみてください」
お電話のなかで中村さんにそう言われてハッとした。正直このときに思いついたアイデアは無償でやりたいと思うほどのものではなかった。実は人から「インタビューして」というような雰囲気を感じ取り、それをきっかけにアイデアを作っていた。
今でもわたしは人を疑うのが苦手だし、頼まれたら引き受けてしまう。ただこの経験で、本当にそれが自分のやりたいことなのかを真剣に考えるようになった。
自分の方向性に悩んだとき、心から相談できる人がいるというのは幸せなものだ。わたしもいつか、誰かのそういう存在でありたいと思っている。